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テーマ:F1ニュース・レース(2363)
カテゴリ:スポーツ
ウィキペディア(英語版) youTUBE映像(英語) 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 ※(12) 13 ※何故か12が削除されていたのでここだけ日本語の版に差し替えをしておきます。 ラストの三周を再現した映像(ご参考まで) http://www.youtube.com/watch?v=Ss7pKt4bkmg&feature=related 2010年F1シーズン、最大のレギュレーション変更点といえばやはりなんといっても給油禁止だっただろう。これのおかけで「凡レース」になりそうなものはだいぶ減ったと思う。 1993年以前のF1レースを振り返ると、この「給油禁止」というレギュレーションがレースの展開を面白くしていたことを改めて思い知るのである。 やっぱりF1はF1であってインディじゃねぇもんな。 この1992年のころもそうだった。いくら巨大パワーを誇るホンダエンジンだろうが優秀なシャーシを開発したウィリアムスであろうとそれだけではレースを制する決め手にはならずに、勝利には必ず「レース戦略」と「ドライバーの腕と頭脳」というものが介在していた。 その象徴的なのが、あとで述べる1991年と1993年を含めての(ドライバーズサーキットの代名詞である)「モナコグランプリ」だった。 このレースのテレビ放送のとき、自分は確か何かの会議(日曜の真夜中ですぜ)の帰りに日本橋か浅草橋あたりの小料理屋で会社の同僚たちとテレビを見ながらの酒盛りの最中であった。 本社の誰かがモナコ(やコートダジュール方面)に旅行中で「結果は教えないがとにかくスゴいレースだったから必ず見とけ」みたいなメッセージが届いていた。 レースは序盤から有力ドライバーがポタポタと脱落してゆくようなかったるいサバイバルレースの様相を呈していた。 その場に居合わせていた誰もが「なんじゃいこれは これのどこがズゴいレース?」とクビをひねりたくなるような展開。 しかし、後半ほぼレースを制するかと思われていたナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)が接触からのタイヤ交換のためのピットインを余儀なくされて、二位キープ狙いだった絶不調のマクラーレンホンダに苦しんでいたアイルトン・セナにトップを奪われてからの壮絶なデットヒートになる。ここから全員(店の全ての客と従業員)が固唾を呑んでラスト三周の攻防を見守っていた。 結果はセナの勝ちだが、このレースを屈指の名勝負にしたのは、ひとつはマンセルの腕とそして当時の給油禁止というレギュレーションがあったからだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年12月25日 08時59分53秒
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