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2015年06月22日
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カテゴリ:四角いものから
 セカイノオワリの歌は実に日本人的だ。
 英語ペラペラなのに発想は変わらないんだね。

 維新の党の人たちも議論はせずイメージで大阪都構想キャンペーンをやっていた。
 あれもやっぱり伝統的な日本人の在り方を踏襲している。
 一昔前はどの成功者の本を読んでも「人の恨みを買うな。議論しない。」っていうフレーズが多かったものだ。つまりどんなに革新的に新自由主義的改革者を掲げてみたところでその本質は日本教徒なのだ。

 そして昨日見たEテレ「オトナへのトビラ」では感情評価による同調圧力にさらされている子どもの今時の話が紹介されていた。文明の利器スマホを駆使し、LINEで繫がるっていう若い人たちですらどっぷり日本教の異端審問に明け暮れているらしい。

 それまであった価値観が崩壊する過程では多かれ少なかれこうしたことが起こるものなんだろう。

 異端審問は苛烈なので「いっそ日本をぶっ潰したい」という輩が沸いて出るのもまた当然の成り行きというものなんだろう。古くは足利尊氏? だが結局新しいお仕着せをいくら羽織っても本質は変わらない。そのあたりを確認すべく総括が必要になる、日本人が日本教を把握する必要が出てくる、礼楽を復活させる必要が出てくるということなんでしょう。

 私は山本七平さんの予言した「その時」を生きているとつくづく感じます。





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最終更新日  2015年06月22日 08時41分17秒
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