カテゴリ:自分の英語
FacebookのTEX師匠のウォールで「村上朝日堂 はいほー!」
はいほー! 村上朝日堂 新潮文庫 / 村上春樹 ムラカミハルキ 【文庫】 のことが書いてあったので、懐かしく思い出しました。 以前、この本について英会話学校いろいろ という記事を書いていましたね。 非常に懐かしい本と記事ですが、改めて振り返ると「村上朝日堂 はいほー!」が刊行された1992年からも、私がこの記事を書いた2007年からも、2013年現在の英語をめぐる状況が変わっていることに驚きます。 2007年に私はこの記事を書いていますが、実際最初に読んだのは、おそらく2000年頃です。 このエッセイを読んで間もない頃のこと、今は小学5年生になった長男がおなかにいたのを覚えているので、おそらく10年以上前の話です。 いつも行くスーパーのレジで、若いアメリカ人の男の子とレジの店員さんがクレジットカードのことで何やらもめていました。 「この中に、お医者様はいませんか」と飛行機の中でCAが叫ぶ要領で、レジの店員さんは「この中に英語のわかる方いませんか」と助けを求めていました。 聞くと、「このレジでは一括払いしかできないけれどいいかどうか聞いてくれ」とのことでした。幸いなことに私の英語でも通じ、若いアメリカ人の男の子も満足そうに買い物をして帰ったのでほっとしました。 うちのような田舎で生活をしていて、「偶然英語が話せて役立った」と思ったのは10年でこの1度だけです。 つまり、「はいほー!」に書かれている以下の文を見てみると、 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それでは今の日本でどれくらいの数の人が英会話力を 本当に必要としているかというと、僕には見当もつかない。 たとえば商社やらホテルやら航空会社やら外資系の会社やらに 勤めている人にはこれはどうしても必要だろう。それくらいは僕にもわかる。 ところが文京区千石で普通の主婦をやっている僕の義理の妹(35歳)が 突然英会話学校に通うとなると、正直言ってもうひとつよくわからない。 「だって、道で外人に何か質問されても困るじゃない」というのが 彼女が教室に通い始めた理由なのだが、これをはたして「必要」と 呼ぶべきかどうかは大変むずかしいところである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「道で(私の場合はスーパーですが)何か質問されて困る」という状況は、私の場合10年間で1度だけでした。 もちろん、私の場合は仕事柄英語が話せないと困りますし、例えば米軍基地のホームステイに引率で参加するときなどにステイ先の方から「あなた英語上手ね〜」と褒められて嬉しいことはありますが(褒められるということ自体、まだまだ精進が必要というバロメーターでもあるのですが、まあそれは置いておいて)、田舎で普通に生活をしていて、10年に1度必要になる英会話、それは「必要」とは言わないのかもしれません。 しかし上に書いたように、世の中の状況は少しずつ変わっています。 「ある日突然、会社の公用語が英語になった」 という、数年前からは考えられないことが実際に起こっていますし、記事で私が触れている、2001年頃気に入って通っていた「ジオス」もつぶれてしまいました。 そして、「スカイプを使ったレッスンで安価なフィリピンの先生に英会話を習う」という、当時は想像もつかなかったビジネスモデルが登場しています。 実際、私も英検の面接のときはお世話になりましたが、私がレッスンを受けた「バリューイングリッシュ」は、レッスンの質が良く、他のスクールに比べて割高ではありましたが非常にコストパフォーマンスが良かったと思っています。 ただ、2007年の記事を書いた時点から私の意見が変わっていないとすれば、それは「英会話は習うより慣れろ」ということかと思います。英会話は習いに行くものではなく、自分の成果を披露しに行く場。 自分でたくさん声に出して練習して、それを披露する場を英会話教室に求めるならば、それは非常に有意義だという点は変わっていないと感じています。 クリックいただけるととてもとても励みになります! 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.05.13 14:11:38
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