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カテゴリ:学び
循環
自然のサイクルに身を任せる 寝たら目覚め、目覚めたら寝る 睡眠の循環。 動いたら休息し、休息したら動く 活動の循環。 頭を使ったら身体を使い、身体を使ったら頭を使う 身体使用の循環。 食べたら出し、出したら食べる 消化の循環。 息を吸ったら吐き、吐いたら吸う 呼吸の循環。 聞いたら話し、話したら聞く 意思疎通の循環。 習ったら教え、教えたら習う 学習・思考の循環。 笑ったら泣き、泣いたら笑う 感情の循環。 このように身体分かつことなく、体内におけるすべての現象は循環している。 この事実を承知したら、あとはただ この循環が滞ることなく、澱むことのないように ごく自然に流れを眺めていれば良い このように当たり前のことを、当たり前と受け止め、当たり前に感じていけばよい。 「中庸」 すべての減少が流れて循環していることを承知したら、次に自分と他者の波形の違いに目を向けてみる。 幅の広い波もあれば狭い波もあり、高い波もあれば、低い波もあり 早い波もあれば、遅い波もあるはずだ。 つまり各自が必要する睡眠時間の違い、食事量の違い、好みの違い、脈拍数の違い 考え方の違いなど、人それぞれの循環波形が違うことに目を向けてみる。 同時にその違うという事実が、 「個性」であり 「体質」であり 「当然」であり 「間違いなし」ということを承知する。 さらに、その波形それぞれには必ず 山と谷があり、その中ほどにそれぞれを分ける中間域が生じており、その中間行きが、私たち自身を知るための要であることを承知する。 「食べる」と「排泄する」の中間には 「吸収する」 「息を吸う」と「「吐く」の中間には 「保息」 「聞く」と「話す」の中間には 「考える」 などがあるように、循環があれば必ず波が生じ 波が生じれば、その波の中間が生じ そこが要となる。 人間の一生で言えば「誕生」と「他界」との中間に 「人生」があるように。 「自分自身を理解」し、健やかな人生を送ろうと考えるならば この要を見失ってはならない。 このような循環と要を承知したものの据え方を中庸という。 私たち自身の「過ぎたる」や「及ばざる」を知る手がかりがこの中庸にある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.24 00:41:03
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