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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2020.07.18
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カテゴリ:カテゴリ未分類
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「逃避の霊的な教え」    2020年7月19日​
インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東
⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。
2018年8月3日放映「​微生物の存在とその驚くべき働き​」 
「逃避の霊的な教え」  ​
          甲斐愼一郎
            箴言28章1節
 「悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子の
ように頼もしい」(1節)。
  「私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避
け(のがれ、口語訳)たいのです」(詩篇61篇4節)。
 
 「逃避」とは、文字通り「逃げて避ける」ことです。これは「エ
スケープ」という英語のままで、よく用いられることばです。
 逃避する時、私たちは、何から逃げようとするかが問題です。な
ぜなら聖書は、逃避することは、必ずしも悪であるとは教えていな
いからです。たとえばペテロは、「イエス・キリストを知ることに
よって世の汚れからのがれ」(第二ペテロ2章20節)と述べ、罪か
らのがれることは必要であると教えています。
 それでは、どのような逃避がいけないのでしょうか。それで、逃
避ということ関して、その対象と、その意味と、その霊的な教えに
ついて聖書から学んでみましょう。
 ​一、逃避の対象について ​
 オズワルド・サンダースは、聖書の中には、死を祈り求めた預言
者が3人いると述べています。その3人とは、モーセ(民数記11
章15節)と、エリヤ(第一列王記19章4節)と、ヨナ(ヨナ4章
3節)です。
 彼ら三人の、死を祈り求めた原因を調べてみると、次のようにな
ります。
 モーセは、直面する困難や重荷に耐え切れなくなり、エリヤは、
戦いに疲れ切ってしまい、それぞれ現実から逃避したかったのでし
ょう。ヨナは、神の御顔を避けて、逃避したものの、自分の思い通
りにならない現実に嫌気がさして自分から逃避したかったのではな
いでしょうか。
 このようなことから聖書が戒め、また禁じている逃避は、次の三
つのことです。
1.現実からの逃避です
2.自分からの逃避です
3.神からの逃避です
 ​二、逃避の意味について​
 このような逃避は、何を表しているのでしょうか。
 ​1.敗北の表れです​
 人間には、だれでも取り組まなければならない問題や課題、また
負わなればならない重荷や苦難というものがあります。これが人生
の現実です。しかしこの現実から逃避しようとすることは、戦わず
して、すでに敗北しているのです。
 2.わがままの表れです​
 このような逃避は、自分さえよければ、ほかの人は、どうなって
も構わないという身勝手さ、また自分を変えようとしないで、環境
のせいにしているわがままの表れです。
​ 3.無責任の表れです​
 罪を犯したアダムとエバは、神の御顔を避けて隠れましたが(創
世記3章8節)、これは謝罪も償いもせずに、自分のしたことに責
任をとろうとしない無責任や責任転嫁です。
 ​三、逃避の霊的な教え​
 それでは、この逃避ということから何を教えられるのでしょうか。
私たちは、この逃避という観点から信仰を学ぶことができます。
 ​1.信仰は、神と自分から逃避せず、神に踏みとどまることです。​
罪人の特徴の一つは、神を避けて隠れることです。しかし神から逃
避することは、滅びであることを知らなければなりません。
 2.信仰は、神のもとにのがれ(詩篇61篇4節)、神にすべて
を任せることです。神から逃避することは、とりもなおさず神にす
べてを任せることを拒むことです。ですから神は、神から逃避する
者を救うことも助けることもおできにならないのです。
 3.信仰は、現実から逃避せず、正面から取り組んで、勝利を得
ることです。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対
できるでしょう」(ローマ8章31節)。私たちが神から逃避せずに、
神のもとにのがれるなら、神が私たちの味方になってくださり、神
から恵みと力が豊かに与えられて、現実の問題に打ち勝つことがで
きるのです。 
甲斐慎一郎の著書→​説教集
久米小百合氏司会「本の旅」→「​聖書の中心的な教え​」
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Last updated  2020.07.18 22:48:57
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