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「肉の思いと御霊による思い」 2020年8月9日 インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒ 東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。 2018年9月13日放映「真の信仰を持つ秘訣」 「肉の思いと御霊による思い」 甲斐慎一郎 ローマ人への手紙、8章1~9節 この箇所には鋭く対立している二つのことば、すなわち「肉」と いうことばが九回(3~9節)、「御霊」ということばが八回(2、 4~6、9節)も記されています。 この箇所における「肉」とは、神に逆らう罪の原理のことです。 「御霊」は、父、御子、御霊という三位一体の神の第三位格です。 パウロは、「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと 平安です」と教えています(6節)。「肉の思い」とは何でしょう か。「御霊による思い」とは何でしょうか。 時間と空間と本性という三つの観点から次のような三つにまとめ ることができます。 一、刹那的な思いと永遠への思い――時間という観点から考える 思い 私たちは、時の流れの中で生きているので、自分は、いつまで生 きるのだろうかということを考えざるを得ません。聖書には、人生 の時に関して二つの思いが記されています。 一つは、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」 (第一コリント15章32節)ということばです。これは、死ねば、 すべてが終わりなので、生きている間に精一杯、楽しもうという刹 那的な思いですが、これこそ「肉の思い」です。 もう一つは、「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」 (伝道者3章11節、口語訳、文語訳)ということばです。これは、 人生は、死で終わるのではなく、永遠に生きる者として造られたと いう永遠への思いですが、これこそ「御霊による思い」です。 二、地上への思いと天への思い――空間という観点から考える思 い 私たちは、宇宙という空間の中で生きているので、自分は、どの ような所や場所で生きるのだろうかということを考えざるを得ませ ん。聖書には人が生きる場所に関して二つの思いが記されています。 一つは、「彼らの思いは地上のことだけです」(ピリピ3章19節) ということばです。これは、ただ地上のことだけを思うことですが、 これこそ「肉の思い」です。 もう一つは「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」 (コロサイ3章2節)ということばです。これは天にあるもの、ま た天上の世界を思うことですが、これこそ「御霊による思い」です。 三、人への思いと神への思い――本性という観点から考える思い キリストは、ご自分の十字架の死と復活を予告されましたが、そ のことをいさめたペテロに、「下がれ。サタン。あなたはわたしの 邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思 っている」(マタイ16章23節)と厳しく叱責されました。 私たちは、どのような時に、「神のことを思わないで、人のこと を思っている」ことになるのでしょうか。 私たちは、人の心を見て常に正しい評価をされる神のことばと、 うわべを見るために常に正しい評価をするとは限らない人のことば のどちらを重んじるでしょうか。もし私たちが神のことばを差し置 いて、人のことばばかり気にしているなら、それは神のことを思わ ないで、人のことを思っているのです。 私たちは、罪を悔い改めて、キリストの十字架による贖いを信じ て神から栄光を受ける神の救いと、ただ人間の努力によって人から 栄光を受ける人の救いのどちらを信じるでしょうか。もし私たちが、 神が与えてくださる十字架による救いを退けて、人の栄光を受ける ことを考えているなら、それは神のことを思わないで、人のことを 思っているのです。 私たちは、神の意志と自分の意志が対立した場合、いのちに至る 神の意志と、死に至る自分の意志のどちらを選ぶでしょうか。もし 私たちが神の意志を退けて、自分の意志を通すことを考えているな ら、それは神のことを思わないで、人のことを思っているのです。 このような三つのことにおいて、人のことを思うことこそ「肉の 思い」であり、神のことを思うことこそ「御霊による思い」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集 久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」
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Last updated
2020.08.08 23:01:49
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