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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2020.08.15
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カテゴリ:カテゴリ未分類
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「神の奴隷と罪の奴隷」 2020年8月16日​
インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒
東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。
2018年11月17日放映「​かけがえのない人生​」
​「神の奴隷と罪の奴隷」​
     甲斐慎一郎
      コリント人への手紙、第一、7章22、23節 
 
  「自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。あ
なたがたは代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはい
けません」(22、23節)。
  この御言葉の前半にはキリストに属する奴隷、すなわち神の奴隷
について、後半には人間の奴隷について記されています。そこで、
「キリストに属する奴隷」とは、どのようなことなのか、また「人
間の奴隷となってはいけません」とは、どのような意味なのかとい
うことについて聖書から学んでみましょう。
  ​一、三種類の奴隷について​
  聖書は、奴隷について次のような三種類の奴隷がいることを教え
ています。
  ​1.強制的(または義務的)な奴隷​
  これは、文字通りの奴隷のことで、経済的に、または身分や立場
の上で拘束され、自由がない状態のことです。
  ​2.精神的(または霊的)な奴隷​
 これは、経済的、また身分や立場の上では自由ですが、その心が、
ある人間やある物事の「虜(とりこ)」になっている状態です。
れには、神に心を奪われている良い場合と、「罪を行っている者は
みな、罪の奴隷です」という悪い場合とがあります(ヨハネ8章34
節)。パウロは、「キリストは、自由を得させるために、私たちを
解放してくださいました。ですから……しっかり立って、またと奴
隷のくびきを負わせられないようにしなさい」と述べています(ガ
ラテヤ5章1節)。
 ​3.自発的な奴隷​
  これは、「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得
するために、すべての人の奴隷となりました」とあるように(第一
コリント9章19節)、完全に自由な者が、人々をキリストの救いに
導くために、また愛のゆえに、自発的に人に仕えて奴隷となること
です。
  私たちは、一口に奴隷と言っても、三種類の奴隷がいることを知
っているでしょうか
  ​二、人の奴隷について​
 ここでパウロが「人間の奴隷となってはいけません」(23節)と
述べているのは、三種類の奴隷の中で、どれでしょうか。
  パウロは、第一番目の奴隷制度を決して承認していませんが、い
つかは無くなる時代が来ることを信じて、神の御手にゆだね、その
廃止を訴えるような表立った政治運動はしていません。もちろん第
三番目の自発的な奴隷を禁止しているのでもないことは、言うまで
もありません。
 パウロがここで述べているのは、第二番目の精神的な奴隷のこと
です。これには様々なものがありますが、代表的なものだけ述べる
なら、次のような三つです。
​  1.人を恐れる――私たちは、恐れている人の顔色をうかがった​
り、ご機嫌をとったりして、その人の言いなりになります。
​  2.人に甘える――甘えは、相手の好意を失うことを最も恐れる​
ものですから、やはりその人の言うとおりになります。
​  3.人を憎む――私たちは、憎んでいる人のことが絶えず気にか​
かり、様々なことにおいて、その人に振り回されてしまいます。
 これらはみな、精神的に人間の奴隷になっていることなのです。
  ​三、神の奴隷について​
  なぜ私たちは、人間の奴隷となってはいけないのでしょうか。そ
れは、罪の奴隷となっていた私たちは、キリストの尊い血という代
価をもって買い戻され(すなわち贖われ)、新しい主人である神の
奴隷とされたからです。
 神の奴隷には、三つの特徴があります。
​ 1.義務的な奴隷――代価をもって買われた私たちは、神に仕え​
る義務があります。
​ 2.精神的な奴隷――しかし私たちが神に仕えるのは、義務から​
ではなく、あまりにもすばらしい神の愛に心を奪われるからです。
​  3.自発的な奴隷――その結果、私たちは、愛のゆえに自発的に​
人に仕えていくのです。
  そして私たちは、この神の奴隷になることによってのみ、罪から
解放され、人間の奴隷となることからも解放されるのです。
甲斐慎一郎の著書→​​説教集​​
久米小百合氏司会「本の旅」→「​聖書の中心的な教え​」
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Last updated  2020.08.22 21:32:32
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