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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2020.09.05
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カテゴリ:カテゴリ未分類
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「神の懲らしめと人の懲らしめ」2020年9月6日​
インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒
東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。
2013年5月28日放映「​父と子の交わり​」
​「神の懲らしめと人の懲らしめ」​
        甲斐慎一郎
       ヘブル人への手紙、12章5~11節
 「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲ら
しめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の
聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」(10節)。
 
 この御言葉の前半には肉の父親の懲らしめ、すなわち人の懲らし
めについて、後半には霊の父の懲らしめ、すなわち神の懲らしめに
ついて記されています。そこで、神の懲らしめと人の懲らしめとは、
どのような違いがあるのかということについて、次のような三つの
観点から学んでみましょう。
 ​一、その動機の違いについて​
 肉の父親に代表される人の懲らしめの動機は何でしょうか。この
ことに関して聖書は、「自分が良いと思うままに」と極めて簡潔に
教えています。これは実に的を射た答えです。なぜなら私たちは相
手のためを思ってしているつもりでも、いつのまにか自分が良いと
思うままにしてしまうからです。しかも人間は無知で、知恵がなく、
また幼稚で、未熟なために、自分では良いと思っていることが、す
でに間違っているということはいくらでもあり得ることであり、こ
こに人の懲らしめの限界があるのです。
 これに対して神の懲らしめの動機は何でしょうか。これに関して
聖書は、「私たちの益のため」、しかも単なる損得ではなく、「ご
自分の聖さにあずからせようとして」と明白に教えています(10節)。
その人にとって何が益になるのか、特にその人が聖くなるためには、
どのような懲らしめがよいのかということは、ただ私たちの最善の
みを願っておられる愛の神、また実際に何が最善であるのかを知り
抜いておられる全知の神のみが判断し得ることなのです。
 ​二、その方法の違いについて​
 この「短い……期間」(10節)という言葉は、人の懲らしめの特
徴をよく表しています。すなわち人の懲らしめは、子どもの頃や若
い時だけで、大人になったり、年を取ったりするとなくなってしま
うということです。人間は年を取れば取るほど、また高い地位につ
けばつくほど、人の言うことを聞かなくなる傾向性がありますが、
それはその人を懲らしめる人がいなくなるからです。
 人を懲らしめる時に最も大切なことは、終始一貫していることで
す。父親と母親の言うことや親と教師の語ることが食い違っていた
り、学校で教えることと社会で教えることが矛盾していたりしたな
らば、逆効果です。また同じ人で表と裏があったり、建前と本音を
使い分けたりすることも同様であることは言うまでもありません。
しかしこれが人間の現実の姿であり、人の懲らしめの限界なのです。
 これに対して神は、一生の間、終始一貫して何の食い違いも矛盾
もなく、様々な出来事や人を通して私たちを懲らしめるのです。
 ​三、その結果の違いについて​
 その動機においても方法においても、多くの間違いや誤りがある
人の懲らしめに良い結果を期待することは非常に難しいことです。
そのためにある時は厳し過ぎたり、ある時は優し過ぎたりして、一
方の極端から他方の極端へと、時計の振り子のように揺れ動き、ど
うしてよいのか分からずに迷っているのが人の世の常ではないでし
ょうか。
 これに対して聖書は、神の懲らしめは「そのときは喜ばしいもの
ではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これ
によって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(11節)と
教えています。神の聖さにあずかった者のみ、平安な義の実を結ぶ
ことができるのです。
甲斐慎一郎の著書→​説教集
久米小百合氏司会「本の旅」→「​聖書の中心的な教え​」
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Last updated  2020.09.05 21:47:22
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