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「結実の霊的な教え」2020年9月20日 インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒ 東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。 2013年7月4日放映「真の幸福」 「結実の霊的な教え」 甲斐愼一郎 ヨハネの福音書、15章1~8節 9月から11月頃までは、読書の秋、スポーツの秋、行楽の秋、 芸術の秋、食欲の秋、収穫の秋、結実の秋で、最もよい季節です。 1~8節には「実を結ぶ」という言葉が七回も記されています (2、4、5、8節)。新約聖書は、キリスト者の結ぶ実を8つほ ど教えています。 ◇悔い改めの実(マタイ3章8節) ◇祈祷による祝福の実(ヨハネ15章7節) ◇献身と服従による聖潔の実(ローマ6章16、 22節) ◇施しによる義の実(第二コリント9章10節) ◇御霊の実(ガラテヤ5章22、23節) ◇伝道による働きの実(ピリピ1章22節) ◇懲らしめの訓練による平安な義の実(ヘブル12章11節) ◇賛美による唇の実(ヘブル12章15節) この結実に関してキリストは、私たちに三つの有り様を教えてい ます。それは「無結実」と「結実」と「豊かな結実」です。 一、無結実について(2、6節) 無結実のものは「取り除かれること」(2節)と、「投げ捨てら れること」(6節)と「火に投げ込まれて燃やされること」(6節) がはっきりと記されています。これは何と恐ろしく厳粛なことでし ょうか。 ぶどうは、実を結ぶこと以外に何の役にも立ちません(エゼキエ ル15五章1~5節)。そのように人間も神に喜ばれる良い実を結 ぶ以外に何の役にも立ちません。 良い実を結ばないということは、ただ「土地をふさいで」(ルカ 13章7節)障害になるだけでなく、木から離れていること、すな わち「神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあ」り (コロサイ1章21節)、罪の実を結ぶ有害なことですから、取り除 かれて、地獄の火に投げ込まれるのです。 二、結実について(4、5節) 聖書は、「わたし(神)の栄光のために、わたしがこれ(人間) を創造し」と記し(イザヤ43章7節)、人は、神の栄光を現すた めに造られたと教えています。キリストは、「あなたがたが多くの 実を結」ぶ「ことによって、わたしの父は栄光をお受けになる」と 仰せられました(8節)。 キリストは、私たちに「実を結べ」とは命令しておられません。 キリストが私たちに命じておられるのは、「わたしにとどまりなさ い」です(4、5節)。これが結実のための条件であり原因です。 「そういう人は……実を結びます」(5節)という言葉は、結実は あくまで結果であることを教えています。 日本語において結実も結果もともに、「み(実、果)を結ぶ」と 書き、同じ字であることは誠に興味深いことです。 「キリストにとどまる」とは、神に直結することです。私たちが 自分および自分が生み出すものを心の支えにしたり、他の人および 他の人が与えてくれるものを心の支えにしたりするならば、神には 直結していません。見えるところによらず信仰によって、ただ神と 神の与えてくださるものだけを喜ぶことこそ神に直結していること なのです。 三、豊かな結実について(2節) ここでキリストは、「実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶ ために、刈り込みをなさいます」と語っておられます(2節)。 キリストにとどまることによって実を結ぶようになった者はだれ でも、神の言葉や聖霊の光(ヘブル4章12節)、また苦難や試練や 懲らしめという「はさみ」によって刈り込みをされます。 この父なる神の刈り込みは、私たちに次のような三つのことをさ せるためです。 ▽離別――汚れたものに触れないこと ▽放棄――悪いものを捨て去ること ▽献身――良いものさえもささげること 神が聖書の言葉や聖霊の光、また苦難や試練や懲らしめという 「はさみ」によって刈り込みをされる時、私たちが離別と放棄と献 身によって、それに応えていくなら、豊かな実を結ぶようになるの です。 甲斐慎一郎の著書→説教集 久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」
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Last updated
2020.09.19 21:37:34
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