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「聖書が教える奇蹟(2)」 2020年10月11日 インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東 ⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。 2013年9月12日放映「三つの創造」 「聖書が教える奇蹟(2)」 甲斐慎一郎 使徒の働き、3章1ー26節 聖書には旧約と新約とを問わず数多くの奇蹟が記されています。 特に科学の観点から物事を見る人にとっては、聖書に信じられな いような奇蹟が数多く記されているので、それは作り話にすぎず、 聖書に書かれていることを決して信じようとはしません。 旧新約聖書に記されている数々の奇蹟を私たちはどのように考え たらよいのでしょうか。 旧約時代においてはモーセとヨシュア、またエリヤとエリシャ、 新約時代においてはイエスと弟子たちが奇蹟を行ったので、現代の 日本に住んでいる私たちも彼らと全く同じように奇蹟を行うことが できるのでしょうか。それとも奇蹟は旧新約聖書の時代だけで、現 代においては行われないのでしょうか。これは非常に大切な問題で す。そこで「奇蹟」について旧新約聖書全体から考察してみたいと 思います。 一、旧新約聖書の中における奇蹟 確かに聖書には多くの奇蹟が記されていますが、よく調べるなら、 五つの時代に集中しており、それ以外の時は行われていません。 1.紀元前1440年頃。「モーセとヨシュアの時代」――時代 の転換期です 2.紀元前850年頃。「エリヤとエリシャの時代」――危機の 時代です 3.紀元前700年頃。「ヒゼキヤの時代」――危機の時代です。 4.紀元前550年頃。「ダニエルの時代」――危機の時代です。 5.紀元後30年頃。「イエスと弟子たちの時代」――時代の転 換期です。 このように聖書における奇蹟は、「時代の転換期」や「危機の時 代」にのみ行われたのであり、決して無秩序に、またのべつ幕無し に行われたのではありません。 二、奇蹟の真意と目的について 1.旧約時代の奇蹟 「旧約時代は、神も神の助けも、また多くの霊的な事実もすべて 目に見える形をもったものとして現された時代です。……エリシャ の働きにおける奇蹟的な要素の真意と目的は、主がともにおられる こととその大能の力をイスラエルに悟らせ、そしてこのような宗教 的な復興によって、切迫している国民的な刑罰を免れさせようとし ていることを示しているのです」(A・イーダーシャイム)。 これはモーセとヨシュア、ヒゼキヤとダニエルの時代も同じであ り、神は周囲の異邦人にもこのことを示されたのです。 2.キリスト在世当時の奇蹟 イエスは、水をぶどう酒に変えられた時、ヨハネは、「このこと を最初のしるし(欄外の訳は、証拠としての奇蹟)としてガリラヤ のカナで行い」と記しています(ヨハネ2章12節)。イエスの奇蹟 は、ご自身が神であり、メシヤである証拠として行われたのです。 イエスは悪魔の誘惑に負けて石をパンにするような奇蹟は行われ ませんでした(マタイ4章4節)。かえって五千人の給食の奇蹟を 行われた後、「人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行 こうとしているのを知って」退かれただけでなく(ヨハネ6章15節)、 「いのちのパンの説教」をして、ご自分がメシヤであり、人はメシ ヤを信じるならば、永遠に生きることができるという霊的な救いと 真理を語られました(同6章35ー58節)。 3.「使徒の働き」における奇蹟 ペテロは、イエスの御名によって生まれつき足の不自由な男を歩 かせました(使徒3章6ー8節)。この男が歩いたり、はねたりし たことは、「見る目のある人々には、メシヤの時代が来たことのし るしであった。なぜなら、メシヤの時代とは、古くから言われてい るように、『そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる』 (イザヤ35章6節、新共同訳)時代であるからである。さきにイ エス御自身の力あるみわざが暗示した事柄が、今や弟子たちの行っ たこの力あるわざによって確証された。それは、イエスはまさしく 主でありメシヤである、ということである」(F・F・ブルース著 『使徒行伝』95頁)。 甲斐慎一郎の著書→説教集 久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.10.10 22:29:24
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