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「聖書の中の科学(1)」 2020年10月25日 インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東 ⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。 2013年10月3日放映「三つの選択」 「聖書の中の科学(1)」 甲斐慎一郎 創世記22章17節 聖書は科学的に正確ですが、それは聖書が神の意思(神学的には 霊感という)を受けて特別に書かれた書物であることの証拠のひと つであって、非常に驚かされることです。 何千年もの間、聖書に記されていながら、近年、初めて正しく評 価されるようになった科学的事実がたくさんあります。それらの記 述は、もちろん現代科学の専門用語で表現されてはいませんが、そ れにもかかわらず、的確ですばらしい描写がなされています。 一、天文学 多くの天文学者たちが星の数を数えました。プトレマイオスは、 1,056個を数え、ティコ・ブラーエは、777個の星を一覧表 に表し、ヨハネス・ケプラーは1,005個を数えました。地球上 のあらゆる地点から肉眼で見える星の総数は、4,000個程度で しょう。 それにもかかわらず聖書は「天の万象(天体の数)が数えきれず」 (エレミヤ33章22節)と記しています。また「海辺の砂」の数が 「空の星」の数に匹敵する(創世記22章17節)ことも伝えていま す。望遠鏡が発明されるまでは、これが聖書における重大な科学的 誤りと見なされてきたことでしょう。しかし今では、それは超自然 的な科学的洞察であったと認めないわけにはいきません。今日、天 文学者は少なくとも10の26乗(百×一億×一億×一億)個の星 があると推定しますが、これは地球上の砂粒の数に匹敵します。 また、聖書には「個々の星によって栄光が違います」(第一コリ ント15章41節)とあります。この記述も、かつては誤りと思われ ていたことでしょう。それは望遠鏡を通してでさえ、太陽を除くす べての星はまるでただの光の点にしか見えなかったからです。今で はもちろん、さまざまな種類の星があり、全く同じ星など存在しな いことがわかっています。 二、地球物理学 科学者や教師たちがみな、地球は平坦であると信じていた時代か ら、まだ数世紀しか経っていません。聖書は、地球は球形だと述べ ているので、当時の知識人にしてみれば聖書がまるで非科学的に見 えたでしょう。 イザヤは神について「主は地の円(the circle of the earth)の 上に住まわれる」(40章22節)と述べています。ここで「円」と 訳された言葉はヘブル語の「khug(フッグ)」で、より厳密な意味 は「丸」です。この言葉は箴言8章27節では「深淵の面に円を描か れ」とも訳されており、神が海を創造されたとき、海洋の表面(平 均海面)を球面にされたことに言及しています。 またヨブ記26章7節には、「神は……地を何もない上に掛けら れる」とあります。これは聖書と20世紀科学の成果が一致した、 もう一つの例です。地球が太陽と結ばれていることは、重力(引力) とよばれる力で説明されていますが、誰も重力が何であって、なぜ 働くのかを知らないので、この結びつきを説明できたとはいえませ ん。このような不可思議な「遠隔作用」が、どのようにして一億五 千万キロメートルも離れた地球と太陽を結びつけ続けられるのか、 その原因は全く未知のことなのです。そして「神は……地を何もな い上に掛けられる」という聖書の説明以上によい説明はないのです。 三、水文学 水は人の生活に欠かせないので、水文学(水の科学)は、聖書の 言葉と多くの関わりがあります。水文学で最も大切な基本原理は、 驚くべき水の循環です。水蒸気は、凝結して雨や雪となって降りま す。次いで地下水や川となって海へ流れ込みます。そこで水は蒸発 して空に昇り、大気圏の大いなる風の循環によって、再び陸地へ運 びもどされるのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集 久米小百合氏司会「本の旅」→「使徒パウロの生涯」
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Last updated
2020.10.24 22:35:31
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