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「目標を目ざして(1)」 2021年1月17日 インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒ 東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。 2014年1月20日「平安と将来と希望を与える神の計画(1)」 「目標を目ざして(1)」 甲斐慎一郎 ピリピ人への手紙、3章13、14節 「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キ リスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、 目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ人への手紙、3 章13、14節)。 冒頭の聖句には、私たちが前進し、成長するための三つの秘訣が 記されています。 一、うしろのものを忘れること 「うしろのもの」とは、過去のことではありません。ダビデは、 「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103篇 2節)と記し、モーセは、「主が贖い出されたこと」と、民がどん なに「主を怒らせたかを覚えていなさい」と述べ(申命記1515節、 9章7節)、パウロも、「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、 暴力をふるう者でした。それでも……あわれみを受けたのです」と 告白しています(第一テモテ1章13節)。 詩篇103篇1~2節と20~22節には、自分のたましいとほかの 人たちに神への賛美を呼びかけていることが記されていますが、3 ~19節には、ただ神のなされたみわざと、その恵みが書かれている だけで、人間のわざや働きについては何も記されていません。 文化や文明と呼ばれるものは、進歩や向上を図る人間の営みであ り、それは人間の偉大さや、その人間が行った偉大なわざを称賛す るものです。確かに文化や文明は、人間の世界を向上させましたが、 その反面、あらゆる罪悪の満ちている暗黒の社会をもたらしたこと も否定することができない事実です。 これに対して聖書が教えている真の宗教は、その暗黒の社会をも たらした罪悪から人を救うとともに、私たちを罪から救ってくださ った神の偉大さと、その神のなされた偉大な恵みのわざを賛美する ものです。 私たちは、これまで数え切れないほど多くの神の栄光を現す良い わざを行ってきましたが、それとともに神を悲しませる多くの過ち と失敗を繰り返してきました。良い行いは、神にゆだねて、神に栄 光を帰し、悪い行為は、悔い改めて赦され、そこから教訓を学んだ なら、神にゆだねて忘れなければなりません。 しかし私たちが神のなされたみわざとその恵みを忘れて、人間の わざや自分の働きに固執し、それを誇示するなら、神に栄光を帰さ ない不敬虔の罪に陥るだけでなく、良い結果の時は、高ぶって人を 見下げ、悪い結果の時は、卑屈になって神と人を恨むようになるの ではないでしょうか。 私たちは、キリストの贖いを信じなければ、人間のわざや自分の 働きは-それが善であっても悪であっても決して忘れることができ ず-私たちの足を引っ張り、私たちが前進したり、成長したりする のを妨げます。「うしろのもの」とは、過去のことではなく、私た ちの前進や成長を妨げる、いわば私たちをうしろに引っ張るもの、 すなわち神の恵みのみわざを忘れて誇ったり、卑屈になったりする 「自分のわざや働き」のことです。 甲斐慎一郎の著書→説教集 久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」
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Last updated
2021.01.16 22:52:29
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