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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2021.01.23
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「目標を目ざして(2)」      2021年1月24日​
インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒
東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。
2014年1月28日「​平安と将来と希望を与える神の計画(2)​」
​「目標を目ざして(2)」​
                             甲斐慎一郎
                             ピリピ人への手紙、3章13、14節
 ​二、前のものに向かって進むこと​
  「前のもの」とは、未来や将来のことではありません。パウロは、
言葉を続けて、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神
の栄冠を得るために」と述べ、殉教の死を前にして、「今からは、
義の栄冠が私のために用意されているだけです」と告白しています
(第二テモテ4章8節)。これは、主人である神から「よくやった。
良い忠実なしもべだ」(マタイ25章21、23節)とお褒めの言葉を
頂くことです。この「神の栄冠」や「義の栄冠」こそ「前のもの」
です。
 しかしこの栄冠を得るためにはジョン・ウェスレーが「根本を撃
つ」という神学論文で述べているような「きよめ」が必要です。
 「今神にむかって生きている者以外、後にだれも神とともに生き
ないであろう。地において神の像(神の聖と愛と義と真実)をもつ
者以外、だれも天において神の栄光を楽しまないであろう。現在罪
から救われていない者は、だれも将来地獄から救われ得ない。この
世で自分の中に神の国をもたなければ、だれも天において神の国を
見ることはできない。天においてキリストとともに支配しようとす
る者は、だれでも地において自分を支配されるキリストをもたなけ
ればならない」(ジョン・ウェスレー著、野呂芳男訳「ウェスレー
の神学」175頁、新教出版社、1963年)。
  この「神の栄冠」や「義の栄冠」こそ私たちをひたむきに前に、
進ませるものです。私たちは、神とキリストの贖いによる「救い」
と「きよめ」を信じなければ、私たちをひたむきに前に進ませる
「神の栄冠」や「義の栄冠」を得ることはできません。それでは前
進も成長も期待することはできないでしょう。
  ​三、目標を目ざして一心に走ること​
  キリスト者にとって「神の栄冠」や「義の栄冠」を得ることは、
最終的な目標ですが、それは、現在においては目に見えないもので
すから、その目標を達成するために、目に見える具体的な目標とい
うものが必要です。
  パウロの最終的な目標は、「キリスト・イエスにおいて上に召し
てくださる神の栄冠を得る」ことでした。しかしそのためにパウロ
は、​「キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝え」​
(ローマ15章20節)、「神のご計画の全体を、余すところなく…
…知らせ」(使徒20章27節)、「聖徒たちを整えて奉仕の働きを
させ、キリストのからだを建て上げ」る(エペソ4章12節)という
3つの目標を目ざして、一心に走りました。これは、私たちの目標
ではないでしょうか。
 1.私たちは、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を
宣べ伝えているでしょうか。
 それはまだ福音を聞いていない遠い外国の人たちだけではありま
せん。日本の、いや私たちのすぐ近くにいる家族や友人や知人の中
に福音に耳を傾けようとしない人たちがいないでしょうか。私たち
をあざけり、ののしり、私たちに反抗する人たち、私たちとうまが
合わず、接することが難しく、私たちの嫌いな人たちの中にまだ福
音を聞いていない人たちがいないでしょうか。福音は、貴賎上下の
別なく、人種の差別なく、あらゆる階層のすべての人に宣べ伝えな
ければなりません。
  2.私たちは、神のご計画の全体、すなわち聖書全体を隅から隅
まで語っているでしょうか。
 自分の好きな聖句や得意な聖書の箇所だけを話したり、人の嫌が
る罪や神のさばきのことなどを語ることを避けたりしていないでし
ょうか。「健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いこ
とを言ってもらう」ことを願う人たち(第二テモテ4章3節)の誘
惑に決して負けてはならないのです。
  3.私たちは、どれだけ「自分自身と群れの全体とに気を配」っ
ているでしょうか。
 パウロは、自分が出発した後、狂暴な狼が群れを荒らし回ったり、
いろいろな曲がったことを語ったりする人が起こることを知ってい
ました(使徒20章28~30節)。教会は、改革しなければ、マンネ
リ化し、形式的になり、沈滞を招くだけでなく、曲がった方向に行
く危険性があります。2000年に亙る教会の歴史には数多くの宗
教改革がありました。私たちは、自分が属する教会と群れの建て上
げのために、私たちに従ったり、賛成したりする人たちだけでなく、
私たちに反対したり、改革したりする人たちの意見や考えに耳を傾
け、常に軌道修正していかなければなりません。
  神は、私たちがこのような目標を目ざして一心に走ることを求め
ておられるのです。
甲斐慎一郎の著書→​説教集
久米小百合氏司会「本の旅」→「​聖書の中心的な教え​」
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Last updated  2021.01.23 19:31:03
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