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「主の打ち傷による救い」 2021年3月21日 インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒ 関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。 2018年3月20日放映「確信と自信」 「主の打ち傷による救い」 甲斐慎一郎 イザヤ書53章1~12節 預言者イザヤは、キリストが降誕される700年も前に私たちを 罪から救われるメシヤについて、「彼の打ち傷によって、私たちは いやされた」と預言しています(5節)。またペテロも、「キリス トの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」と記して います(第一ペテロ2章24節)。 「傷」には、次のような三つの意味があるのではないでしょうか。 ▽損なったり、傷んだりしたところ ▽欠陥や欠点、また不完全や不足 ▽失敗や非難すべきところ、また罪 この「傷」ということばは、単に「物質や肉体」が損なわれたり、 傷んだりするということだけでなく、「心の傷 」ということばで表 されるように「精神的また霊的」な意味を持っています。 それで「傷」という観点から聖書が教えている大切な真理を学んで みましょう。 一、罪人の傷について 創世記4章には、カインがアベルを殺害した出来事が記されていま す。この出来事から聖書が教えている罪人の姿を傷という観点から述 べるなら、次のような「あってはならない心の傷」を持つ者というこ とができるのではないでしょうか。 ▽自分の悪いところを指摘された時、それを認めず悔い改めないこ とによる心の傷 ▽心の傷を受けた結果、人を憎み恨んで、報復せずにはいられない という心の傷 ▽自分の思い通りにならないと心が傷つくという身勝手で自己中心 の心の傷 ▽どうせ自分はだめな人間なのだと言って心が傷つく卑屈な心や劣 等感 ▽自尊心が傷つけられたということばで表される高慢な心や優越感 このような心は、本来あってはならない悪い「心の傷」です。しか し人間は、このような傷に悩み苦しみつつ、罪の中にあるのではない でしょうか。 二、神(キリスト)の傷について 神は、このような人間の罪をどのように見、またどのように対処さ れたのでしょうか。このことに関して聖書は、私たちに次のような驚 くべきことを教えています。それは、神は、私たちの罪のために傷つ けられ、しかも三重の傷を受けられたということです。 ▽私たちが罪を犯すと、神のみこころが傷つけられ、正義の怒りが 燃えることです ▽この罪を罰せずにはおかない神の正義の怒りと、罪人を愛してや まない神の愛の炎とが激しく戦うことによって受ける神の心の深い傷 です ▽私たちの罪を赦すために神のひとり子が十字架において私たちの 罪のために打たれ、また傷つけられたということです これは、何と恐れ多いことでしょうか。しかしこれが聖書の教えて いる神なのです。 三、キリスト者の傷について この神が受けられた傷によって、人間は、罪から救われて、神の子 どもとされ、次のような祝福にあずかるのです。 ▽まず私たちは「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」とあ るように(5節)、キリストの十字架を信じることによって、罪のた めに傷だらけになっていた心が縫い合わされて、いやされるのです ▽次に私たちは、「神は傷つけるが、それを包み」とあるように、 (ヨブ5章18節)、神の愛のむちを受けることによって、悪いところ をきよめられ、「非難されるところのない純真な者となり……傷のな い神の子どもと」されるのです(ピリピ2章15節)。 ▽最後に私たちは、私たちを愛するあまり傷を受けてくださった神 を知ることによって、ほかの人々の弱さと苦しみと罪のために心を傷 める愛の人に変えられるのです。 私たちの姿は、どうでしょうか。 甲斐慎一郎の著書→説教集 久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」
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Last updated
2021.03.20 23:12:00
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