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「私たちの人生と復活」 2021年4月11日 インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒ 関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。 「私たちの人生と復活」 甲斐慎一郎 第二コリント1章8~11節 キリストの復活は、キリスト教の福音において最も大切で中心的 なものです。しかし世の中においても、一般的な意味における復活 や復興ということは、非常に重要なことではないでしょうか。それ でキリストの復活および一般的な意味における復活を問わず、復活 について考えてみましょう。 一、復活――それは人間本来の願望です キリストの復活はともかくとして、私たちは、一般的な意味にお ける復活というものを切に求めているのではないでしょうか。 からだが常に健康で、若々しく、生き生きとしていることを願わ ない人がいるでしょうか。不老不死は人間の悲願です。科学、特に 医学は、このために少しでも貢献しようとしているのであり、体育 やスポーツも同じではないでしょうか。 また精神的にも生きる喜びや希望に満ちていることを願わない人 がいるでしょうか。文明の発達や文化の向上は、このような心の願 いの当然の結果であるということができます。 そして霊的な面において、清く正しく生きることが人の道であり、 もしそこから逸脱していれば、更生しようとするのが人のあるべき 姿ではないでしょうか。道徳や倫理また宗教は、このことを私たち に教えています。 このように人間は、肉体的にも精神的にもそして霊的にも、復活 や復興また更生を切に求めているのです。 二、復活――それは正真正銘の事実です キリストが復活したというと、多くの人々は、「死んだ人間が生 き返るはずがない」と一笑に付してしまいます。しかしルカの福音 書の24章には、キリストの復活が事実であることを証明する根拠 が3つ記されています。 1.第一は、死体のない墓です この箇所には、3回も墓の中には主イエスのからだが見当たらな かったことが記されています(3、23、24節)。 2.第二は、キリストの顕現です この箇所には、エマオという村へ行く途中のふたりの弟子たち (15節)とシモン・ペテロ(34節)と11使徒(36節)にキリスト が現れたことが記されています。彼らは、よみがえられたキリスト を目撃した証人なのです(48節)。 3.第三は、聖書の証言です この箇所には、3回も聖書という言葉が記されており(27、32、 15節)、キリストは聖書の預言の通りに死んで復活されたことを私 たちに教えています。 三、復活――それは起死回生の秘訣です パウロは、アジヤで非常に大きな苦しみに遭った時、「非常に激 しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ほんとうに、自分の心の中 で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよ みがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」と告白し ています(第二コリント1章8、9節)。これは復活を信じる信仰 です。 私たちのからだは、疲れたり、病気になったりすることがありま す。しかし再び元気になったり、病気が治ったりすればよいのです。 また様々な問題のために失望したり、落胆したり、挫折したりする こともあるでしょう。しかし再び立ち上がればよいのです。さらに 信仰が死んだような状態になることがあるかも知れません。しかし 再び生きた信仰を持てばよいのではないでしょうか。 キリストは、十字架の上で死なれましたが、よみがえられた方で す。聖書は、「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリス トの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同 じようになるからです」と教えています(ローマ6章5節)。 キリストの死と復活を信じる人は、たとえ倒れても、打ちのめさ れても、また死んだようになっても、再び起き上がり、生き返るこ とができます。キリストの死と復活を信じる信仰は、私たちに起死 回生の力を与え、私たちが苦しみに満ちた人生を歩んでいくために 不可欠なものなのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集 久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」
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Last updated
2021.04.17 22:42:50
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