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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2021.08.02
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​​​​​​​​​​​​
「十二使徒への訓戒(4)」 2021年8月2日​
インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東
⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。
2019年5月7日放映「​神の傷と人の傷​」
  
​「十二使徒への訓戒(4)」 ​
                          マタイ10章34~42節
         甲斐慎一郎
 イエスは、十二使徒への訓戒の第4回目として、彼らの「動機」
について教えられました。十二使徒への訓戒を順を追って述べるな
ら、次のようにまとめることができます。
  1.なすべき事(5~15節)――彼らのなすべき事は、すばらし
い福音を宣べ伝え、愛の行いと奉仕をすることです。
 2.あるべき姿(16~23節)――そのために、彼らのあるべき姿
は、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおであることです。
 3.心構え(24~33節)――そのために、彼らの心構えは、人を
恐れず、神を恐れることに徹することです。
 4.動機(34~39節)――そのために、彼らの動機は純粋である
ことです。
 そして最後にイエスは、ご自分の弟子たちを受け入れる者への報
いについて述べておられます(40~42節)。
 それでは、私たちの動機が純粋であるかどうかをためすものは、
何でしょうか。イエスは三つのことを教えられました。
 一、偽りの平和よりも真理の戦いを選ぶかどうかです(34、
35節)――知性の面
 キリストの弟子に求められることの一つは、「神のみこころは何
か……をわきまえ知る」ことです(ローマ12章2節)
 もし一家五人が徒党を組んで悪事を働いているならば、互いに対
抗することもなければ、分裂することもありません。しかし二人で
も三人でも、罪を悔い改めて正しいことを行うならば、「一家五人
は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようにな
ます」(ルカ12章52節)。
 このような時、私たちは、罪と妥協する偽りの平和と、罪と訣別
する真理の戦いとの戦いのどちらを選ぶでしょうか。私たちは、偽
りの平和よりも真理の戦いを選ぶ時、その動機が純粋であることが
わかります。
 二、家族への愛よりも神への愛を優先するかどうかです(36、
37節)――感情の面
 知的に理解して、偽りの平和よりも真理の戦いを選んでも、実際
問題として、五人家族の中で、三人が二人に、二人が三人に対抗し
て分かれるようになるということは、情的には忍びがたいことです。
そのため、ある人々は、家族への情にほだされて、再び罪と妥協す
る偽りの平和へ逆戻りしてしまいます。
 この「情愛や肉親愛」(ストルゲー)また「恋愛や夫婦愛」(エ
ロース)は、善悪をわきまえず、見えないところがあり、これらの
人間的な愛は、「聖愛や神的な愛」(アガペー)によって支配され
なければ、暴走したり脱線したりする恐れがあります。
 このような時、私たちは、家族への愛と神への愛とのどちらを優
先するでしょうか。私たちは、家族への愛よりも神への愛を優先す
る時、その動機の純粋さが証明されます。
 三、自己主張よりも自己否定を選ぶかどうかです(38、39節)
――意志の面
 現実の問題として、情にほだされず、家族への愛よりも神への愛
を優先するということは、容易なことではありません。それは「わ
たしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と言って、
自己を否定し自分の意志を神に明け渡さなければできません(ルカ
22章42節)。
 しかし信仰の世界では「自分のいのちを自分のものとした者はそ
れを失い、わたし(イエス)のために自分のいのちを失った者は、
それを自分のものとします」(39節)。
 私たちは、死に至る自己主張と生命に至る自己否定とのどちらを
選ぶでしょうか。私たちは、自己主張よりも自己否定を選ぶ時、そ
の動機が純粋であることがわかります。
甲斐慎一郎の著書→説教集
久米小百合氏司会「本の旅」→「​聖書の中心的な教え​」
​​​​​​​​​​​​​​

http://japan.cgntv.net/movie_player.php?number=2384&sub_number=116556






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Last updated  2021.08.02 19:46:30
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