説教要約 1113
「欧州の国々の歴史」 2018年8月19日インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。2018年6月2日放映「心(思い)の一新」「欧州の国々の歴史」 甲斐慎一郎 ローマ人への手紙13章1節 政教分離で、信教の自由のある健全な国家の建設は、初代教会から現代までのヨーロッパの国々に起こった国家と教会の関係から学ぶことができます。 一、国家と対決した教会の時代――初代教会からミラノの勅令まで キリストの教会は紀元30年の聖霊の降臨の時に誕生しました。これが初代教会です。初代教会が飛躍的に成長するに従って、ローマ帝国はキリスト教を迫害するようになりました。なぜなら教会は、「国家の中の国家」のように見えたからです。これは、教会が国家と対決した時代です。「殉教者の血は、教会の種子である」(テルトゥリアヌス)ということばのように、教会は迫害を受ければ受けるほど成長し、ローマ帝国を内側から突き崩し、ついにコンスタンティヌス皇帝は、ミラノの勅令(紀元313年)によってキリスト教を公認しました。 二、国家と協力した教会の時代――ミラノの勅令からフランス革命まで ミラノの勅令によってキリスト教が公認されてから、ローマ教会が中心的な地位を占めました。ここから教会は国家と協力する時代になりました。その後、教会は西方教会(ローマ・カトリック教会)と東方教会(ギリシャ正教やロシヤ正教、日本は日本正教会)に分かれました。これが紀元1054年です。この分裂後は、西方教会であるローマ・カトリック教会は、ローマ法王の権力が世俗の王権をも圧倒するようになりました。これは、教会と国家の主導権争いを招き、国家も教会も世俗化するという弊害を生み出しました。 マルチン・ルターが起こした宗教改革(紀元1517年)が成功したのは、ルターの前に改革者が出て、犠牲となり、土壌を肥やし、空気を作ったからです。これらの人々は、宗教改革前の改革者または宗教改革の先駆者と言うことができます。この宗教改革の先駆者の中にジョン・ウィクリフ、ヨハン・フス、サヴォナ・ローラがいます。もう一つ、中世には、1,350年から1,650年にヨーロッパのおもな国々で文芸復興(ルネッサンス)が起こりました。 「文芸復興は、人生に宗教的・団体的に近づく中世のやり方の代わりに、現代的・非宗教的・個人主義的な人生観に置き換えた文化的方針の再決定の時代と定義することができよう。……神がすべての事物の尺度であった中世の神中心の世界観は退いて、人間がすべての事物の尺度となった人間中心の人生観が力を得てきた」のです(E・ケァンズ)。 マルチン・ルターによる宗教改革は、このようなカトリック教会の中で起きた宗教改革の先駆者たち、そして世俗の世界で起きた文芸復興を背景に起こったのです。近代は、霊的なものである宗教改革と、知的なものである文芸復興(ルネッサンス)によって誕生したということができます(E・ケァンズ)。 三、国家から自由とされた教会の時代――フランス革命から現代 教会は、国家が世俗化し、政治目的のために教会を利用するという弊害に気づき、「信仰の自由」と「政教分離」を求め、フランス革命(紀元1,789年)の以後からそれを勝ち取ることができました。ここから教会は国家から自由とされた時代になりました。 キリスト教の2,000年にわたる歴史において、国家と対決した教会の時代が約300年、国家と協力した教会の時代が約1,500年ですから、宗教(キリスト教)と国家が正しい関係になり、健全な国家が建設されるまで実に1,800年もの長い歳月が流れ、しかも、「信教の自由」があって「政教分離」の国家が建設されるようになった期間は、約200年です。 因みに紀元前の時代は、どの国も国家と宗教が協力した「政教一致」です。それで日本では「政治」のことを「政(まつりごと)」と言い、「まつりごと」は「祭り事」すなわち「神を祭ること」で、「政教一致」を表しています。 「政教一致」であれ、「政教分離」であれ、宗教なしに国を治めることはできず、古今東西を問わず、宗教(共産国は思想)なしに国家を建設した国は、一つもないのです。(神のご計画の全体「67 欧州の国々の歴史」より転載)甲斐慎一郎の著書→説教集