説教要約 1017
「神と人との絆」 2016年10月24日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2015年9月8日放映「初めに情報ありきか物理法則ありきか」きか」 説教要約 964 情報が物質を造る(2)「神と人との絆」 甲斐慎一郎 ホセア11章4節 「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた」(4節)。 「絆」という言葉には、「動物や物をつなぎとめる綱」と「切っても切れない関係」という二つの意味があります。 前者が二つのものをつないでいる「目に見える綱」であるのに対して、後者は二つのものをつないでいる「目に見えない綱」であるということができます。どちらにしても「絆」は「綱」であることがわかります。 私たち人間は、様々なものと深いつながりや絆というものがありますが、代表的なものは、次のような三つではないでしょうか。 一、自然と人との絆 人は、この世に生を受けてから、この世を去るまで、様々な自然現象の支配から一瞬たりとものがれることはできず、自然と切っても切れない関係にあります。それは、人間も自然界の一員である以上、決して気象的な変化や生物学的な作用、また物理学的な現象や化学的な反応など、自然の法則に逆らって生きていくことはできないからです。 そしてこの自然の法則は、私たちの人格や品性に関係なく働くものです。すなわち、その人の日頃の行いが良くても悪くても、高い所から落ちれば、怪我をし、熱いものに触れれば、やけどをし、有害なものを食べれば、中毒を起こすのであり、そこに例外はありません。ですから私たちが安全で健康な生活を営むためには、この自然の法則を守るほかないのです。 二、人と人との絆 しかし人間には、自然との絆だけでなく、さらに次のような切っても切れないつながりがあります。それは、家族や親族という血縁をはじめ、友人や同僚との交友の絆、知人や関係者との交際上の絆、さらに近隣や地方自治体などの地域社会の絆、そして国民としての絆に至るまで、実に複雑な人と人との絆です。 人というものは、互いに様々な絆という目に見えない綱でつながっているものです。しかもその綱は、夫婦や親子や友人の絆など、それぞれの関係にふさわしい太さ(親密度)と材質(性質)が定められています。これは、人の歩むべき道を教える倫理や道徳のことであり、正しい人間関係の基礎です。 しかし私たちがこの道を踏み外して、勝手な振る舞いをするなら、私たちにつながっている多くの人々に迷惑をかけて罪を犯すことになります。その結果、綱がもつれて身動きがとれなくなったり、正しい人間関係がこわれて、互いに憎み合う間柄や不義の関係や腐れ縁になったりするのです。 三、神と人との絆 しかし何よりも大切なのは、神と人との絆ではないでしょうか。神と人とは、どのような絆があるのでしょうか。 1.神は万物の創造者です(創世記1章1~31節)。私たちは、この神によって造られ、この神にいのちと息と万物とを与えられて、生きている者であり(使徒17章24、25節)、これほど深い絆はありません。だれが、この神のいのちを離れて生きて行くことができるでしょうか。 2.神は万事の支配者です(ユダ4節、黙示録4章8節、申命記32章39節)。自然の法則は、この神によって定められ、私たちは、その支配下にあるのであり、これほど深い絆はありません。だれが、この神の支配をのがれて生きて行くことができるでしょうか。 3.神は万人の審判者です(第二コリント5章10節、マタイ25章31~46節、黙示録20章11~15節)。私たちは、善であれ、悪であれ、すべてのことを神によってさばかれるのであり、これほど深い絆はありません。だれが、この神の審判をまぬかれて生きて行くことができるでしょうか。 神と人との絆を正しくするものは、神への信仰によって与えられる罪からの救いであり、それはまた自然と人との絆、および人と人との絆を正す秘訣なのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集