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テーマ:心にのこる出来事(94)
カテゴリ:今日の日は贈り物
盛んに選挙カーから「~~をお願いします!~~」と流れてくる。書いてる今も一台通り過ぎていった。一生懸命自分の事を伝えようとしているのだけれど、なんだか伝わってこないだな、これが。(^_^;)
もともと選挙運動で、ホントのことを声高に言えるはずも無いので、伝わってくるモノが少ないのは、仕方ないかもしれませんが。 この間、珍しく仕事から歩いて帰る途中、通りかかったお寺の土塀に掲示板の様なモノがあり、そこにこんな事がかいてありました。 「悲しみは、誰かと分け合うと半分になり、幸せは、倍になる」 ふむ、なるほどね。と思いながら通り過ぎたのですが、皆さんはこの言葉をどのように受け取られるでしょうか? 分け合うことが大事なのでしょうか? 簡単に分け合うと言ってもそれは、誰にでも直ぐ出来るモノではないですよね。まず、分け合う対象の人が必要です。さて、その人は、楽しい事には、付き合ってくれるかもしれません。しかし、悲しい事に付き合ってくれる人は、周りに沢山いますか? どんなことも素直に受け入れてくれる、そんな気の置けない友人でなければ、このような事は起こりえないのじゃないでしょうか。 そう言う友人を持てる事自体、その人の努力や気遣いや行動力によるところが大きい、つまりその人の生き方、資質に関わってくるわけです。 そう言う人間関係を築けた人は、悲しみや喜びをわざわざ分け合う必要も無いのじゃないかと思うのです。良い人間関係って、それ自体、すでにそう言う事全部を含んでいますからね。 先ほど「女王の教室」と言うドラマを見ていたのですが。このドラマには賛否両論あるようで、色々取りざたされていますよね。このドラマは、夫婦で気に入って見ています。ボクは小学校の時の先生を思い出しながら見ているのですが、その時の先生から聞いた話と同じようなセリフを懐かしく感じてしまいます。もちろん表現的には、少々違うのですが、言いたかったことは、きっと同じだと思います。 しっかりとした節度を持つことにより、遊びはより遊びとして面白くなり、友達関係も健全なモノになっていくんですよね。 小学生のうちに、人との付き合いをしっかり出来るようになっていなければ、本音で誰かと付き合う事って出来ないのかも知れません。 今の小学校では、そう言うことがちゃんと出来ていないんじゃ無いでしょうか。少なくとも我が子が通った小学校では、出来てなかったように思います。いや、そんな生やさしいモノじゃなかったです。(^_^;) そのことは、改めて書きたいと思います。 今の子供達が、誰かに気持ちを伝えることが、どうしてあんなにも出来なくなったのだろうかと、なんだか心配になってきたのです。 何も言葉だけで、相手に何かを伝えなくても、殆どたいしたことしゃべり合わなくても、いつも一緒にいて、すごく仲のいい二人って、昔はいましたよね。 こんな事いいだしたら、終われなくなりそうです。が、今、気が付きました。ホントに怖いのは。 「分け合う悲しみも。喜びもないんだから、分け合う相手なんていらない」 これで、映画が作れるぐらい、大きなテーマかもしれませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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