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テーマ:心にのこる出来事(94)
カテゴリ:冒険少年の憂鬱
続きものですので(1)からお読み下さると嬉しいです。
この旅巡業で一番印象に残った劇場が嘉穂劇場だった。外観も昔ながらの芝居小屋の様相をそのまま残していて、かつて人々がこの劇場で一喜一憂したのだと、まるで映画のナレーションがボクに語りかけているかのようだった。 この旅の事を思い出しながら書き連ねているうちに、この劇場の事を想いだした。そして、ふと今はどうなっているのか調べてみた。 嘉穂劇場は、福岡県飯塚市にある劇場だ。元々は大正10年に中座として開場。昭和3年に火事で全焼。翌年新築、その翌年台風により倒壊という。不運な劇場だったようだ。 そして、昭和6年に「嘉穂劇場」として生まれ変わった。それ以来戦前戦後と庶民の娯楽の場としてみんなに親しまれた劇場だった。 しかし、平成に入りまたもや災害により休館を余儀なくされた。 豪雨による水害のことは、今まで知らなかった。以前TVのニュースで「全国座長大会」が開催されたと言う報道を目にしたが、それが復旧工事完成後のこけら落としだったことを初めて知った。 こうやって調べてみると、なんと過酷な運命を背負ってきた劇場だったんだと驚いてしまった。初めて劇場内に入ったとき、楽屋口の柱や窓枠に日付の書いた紙が逆さに貼ってあるのを目にして不思議に思い、役者さんにきいた、昔、ひどい火事があって多くの人が亡くなったからだ、と教えてもらった。 霊感の強い踊り子さんも、この劇場は強烈に感じますと言っていた。どう感じるのかまでは教えてくれなかったが、教えられなかったのかもしれないなと、そんなことを思い出した。 どんな劇場かを少し説明してみたいと思う。写真は「NPO 嘉穂劇場」というサイトに数枚掲載されているので、そちらを見て頂いた方が分かりやすいと思います。 枡席の観客席と桟敷がある昔ながらの作りだ。花道にはせり出しがあり、役者がここからせり出してくる仕掛けも付けられている。 舞台には、手動の回り舞台が装備されていた。もっともこの時はもう手動の回り舞台は、動かせないようだったが。 手動の回り舞台と聞いて、どんな仕掛けで回しているのかが気になった。劇場の人に頼んで、舞台の下を見せてもらった。 所謂、「奈落」と呼ばれるところだ。冷たい空気に包まれた暗い地下室と言うには、あまりにも重たい感覚があった。石を張りつめた床は、地下水がにじみ出ているのか、全体に濡れていて、所々に氷のように光る水が溜まっていた。 ココを奈落と呼んだ理由が分かったような気がした。役者の夢と対峙する1つの揶揄なのかも知れないが、それにしてはあまりにリアルだ、 嘉穂劇場のサイトには、戦前からの公演記録が掲載されている。ボクが行った1977年の公演もしっかりと記載されていて、何だか改めて懐かしさがこみ上げてきた。 嘉穂劇場の公演リストー二葉百合子(1977年) この劇場を大事に守って欲しいものだ。他にもこのような劇場は有るかも知れないが、ここは特別なんじゃないかと思えてくる何かがあった。それがなんなのかは、分からないが、今でもこの劇場の存続を願い、行動している人たちにも、同じ気持ちが、いやそれ以上の気持ちが有るに違いないと思う。 劇場という特殊な空間、それは、人が人に何かを伝えるという行為をお互いに集団で行うという事の、原型なのかも知れない。人の気持ちを意図的ではありながらも、大切に扱わなければならないからだ。 徒然に、つづく、、、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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