|
テーマ:旅のあれこれ(10281)
カテゴリ:旅の中の日常
その夜、友人から電話でツインタワーが大変なことになっていると聞いて、テレビをつけた。そこには白煙をあげるツインタワーの映像が映し出された。そしてもう一機の旅客機が追突した。
2001年9月11日の米国同時多発テロ事件が起こり、この2つのビルは一瞬のうちに崩壊した。この出来事が人々に与えた影響は計り知れないものがある。崩れ落ちた瞬間にそのビルに居た人々の事を、全く知らない人々の事を思い、震撼とした痛みを感じた。 3回訪れたニューヨーク、3回ともWTCに上った。同行する人たちが違ったので、案内役のように名所を回ったのだ。 2回目の時に、前日WTCの地下で爆破事件が起こり、地下街は閉鎖されていた。始めていったときは、ジョン・F・ケネディ空港で発砲事件があった。きな臭い事件に出くわすことが多かったNYへの旅だった。 もともと高いところは苦手なのだけれど、あれほど高いと逆に高さを意識しない。下を見下ろすと車はミニカーより小さく見え、人は点にしか見えない。展望台の透明な床の上に立つと、何とも言えない浮遊間を感じるだけなのだ。 色んな人種が各地から集まってきて、そのビルの展望台を行き来する。 ずり落ちそうなぐらいに腰でジーンズをはく少年を初めて見た場所。今まで見た中で一番小さな自由の女神。気持ち悪くなりそうなぐらい長くて速いエレベーター。階段で下りたら何分ぐらいかかるんだろうと気が遠くなった超高層ビル。 そんなことを思い出しながら、テレビの画面の中で崩れ落ちるビルを見た。見ているその瞬間、ホントにニューヨークでツインタワーのは崩れているんだ。その同時性に震撼した。崩れ落ちるまでの間、あの上に居た人は、あの高さを実感していたはずだ。 折角したまで降りたのに、その瞬間に崩れてきたビルに飲み込まれた人もいただろう。 頭の中には、色んな想いがぐるぐると音を立てて回った。 自分があのビルに何回も上っていなかったら、また違った思いで崩れゆくビルを見ていたかもしれない。しかし、あの上に自分は居たことがある。そう思うとその恐怖はふくれあがった。 阪神・淡路大震災で崩れ落ちた家々を見て涙した時とは、また別の、何とも言えない感情、怒りの混じった複雑な思いだった。 忘れられない出来事が数多くある。ボクが生きている間にどれほどの忘れられない出来事が起こるのだろう。そしてそこには計り知れない掲示が存在しているような気がしてならない。 それらは、忘れられないことではなく、忘れてはいけないことなのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[旅の中の日常] カテゴリの最新記事
|
|