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テーマ:心に響く音(35)
カテゴリ:音楽あれこれ
京都に「拾得」と言うライブハウスがある。その前身は1970年頃から「賁」として有ったようだ。「拾得」のWebサイトには、設立1973年となっているが、初めて「拾得」に連れて行ってもらったのが、確か中学に入る前の春休みだったと記憶しているから、71年の春だったと思う。
その時はまだライブハウスと言う形態を取っておらず、バンド仲間が集まって、セッションしたりして楽しんでいた感じだった。 酒蔵を改造したような建物は、初めて見たときも十分にボクを驚かせた。「拾得」へ連れて行ってもらう直前に、「ポパイ」と言うロック喫茶にも連れて行ってもらった事があるが、その時流れていたレッド・ツェッペリンの「移民の歌」は今でも強烈に覚えている。 ボクが初めて訪れたときは、有山淳司さん(オムニバス/春一番ライブ’79)や後にウェストロード・ブルースバンドを作った永井隆さん(オムニバス/春一番ライブ’79)がいた。連れて行ってくれた従兄弟のお兄さん(ジミー・ペイジみたいな)がそう教えてくれた。 その日も、いつものようにセッションが始まり、ブルースが延々と演奏された。しかし、途中で近所から通報があり、警察が注意しに店に来た。ボクは、まだ子どもだったので、厨房に隠れるようにいわれ、厨房から様子をうかがっていたのだった。 今では、ライブハウスと言う呼び方は普通だが、当時はまだそんな和製英語は耳慣れない存在だった。サイトでもふれられているが、ライブハウスと呼ばれた最初の店だったと思う。 店主のテリーさんは、その時はまだ若く、僕の目にはカッコイイ外人さんのイメージが強烈だった。色んなミュージシャンをそこで見、色んな演奏を耳にした。それは今思うと貴重な体験だったと思う。 京都は、学生の街として若者独自の文化のようなものが存在した。 ロック喫茶やジャズ喫茶、ライブハウス、その他、色んなものが生まれた街だったのだ。 「拾得」で受けた印象は、ホントに強烈だった。何回か1人でも訪れたりしたが、いつも店の人は可愛がってくれたのを覚えている。 しばらくして、病気で外出できなくなるのだが、音楽を聴くことの楽しさを味わったおかげで、寂しさを感じなかったのかも知れない。 しかし、ボクの小遣いは全てレコードと言う塩化ビニールに姿を変えてしまった。そして、そのレコードたちは、今でもボクを楽しませてくれている。 レコード店で持ち金を全部使ってしまい、帰りの電車賃もなくなったこと、傷ついたレコードをもらって帰り、自分で修復して聴いたよくわからない音楽、すべてがボクを楽しませてくれた。 知り合いのギタリストが、この「拾得」で、披露宴をしたことがあった。親戚たちは驚きの表情を隠し得なかったようだが、ボクの記憶の中で輝いて残っている披露宴のひとつだ。おそらくそれは、自分の歴史の中に組み込まれたかのように、今でも鮮明に心の中心に残っている。 つかず離れずではあるが、今でも音楽に関わっている事で、心地よさを感じる事が出来るのは、この時の楽しさが忘れられないからなのかも知れないと思うのだ。 iTunes に入っている 18,179曲と数百枚のレコードは今でもボクの宝物だなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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