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テーマ:心に響く音(35)
カテゴリ:音楽あれこれ
芝居の仕事をしたあと、PAの仕事に就いた。PAと言うのは舞台やコンサート、ファッションショーの音響を設置調整する仕事だ。
ファッションショーの仕事も好きだったし、お話ししたいこともいっぱい有るのだけれど、今回は、一番印象に残っていると言うか携わったことが、ホントに良かったと思える仕事についてお話ししたいと思う。 天才少女、演歌の女王、彼女をたとえた呼び名は数々存在する。 好き嫌いは別として、日本を代表する偉大な歌手であることは、紛れもない事実だ。魚屋さんのお嬢さんで終わる人ではなかった。 美空ひばりは、戦後の歌謡史に名を残す程の歌唱力と人の感情を表現できる能力をもっていたんだと思う。 機材を満載にしたトラックに乗って、京都会館の搬入口に着いた。 朝から機材の設置とマイクのケーブルの準備で大変な1日が始まった。搬入口にトラックを止め、楽屋入口から劇場入りした。 その時、学ランを着た青年が2人、入口の両側に仁王立ちしている姿があった。 「おっす」と挨拶をされた。そんな経験は今までなかった。 そして、楽屋口の通路には、迷彩色の洋服をきて編み上げのブーツを履いた青年が2mおきに直立していた。今までにない異様な雰囲気だった。 これは「興行」なんだと感じた。芝居のバイトの時、「興行」を仕切っているのは、その筋の人たちだと言うことを知っていたので、他の人より驚きは少なかったのだけれど、その状況は、その認識を遙かに超えたものだった。 念入りに設定を終え、リハーサルが始まった。 ひばりさんは、本番と同じように衣装もつけステージに現れた。 数曲の音合わせのリハーサルにもかかわらず。その歌声は本番のそれと変わらず、素晴らしい声量と迫力だった。 「悲しい酒」では、リハーサルにもかかわらず、涙を流しながら歌っていた。仕事をしていると言うより、感動を貰っていると言う感じだった。 照明担当の人の緊張も並大抵のもではなかった。ピンスポットを外して首になった照明マンがいたと言う噂があったからだ。 みんなが緊張していた。まるでその緊張が最高のステージを作る力になっているかのようだ。そのオーラのような力が本当の大物のだす不思議な実力なのかもしれない。 その時の緊張と感動は、その仕事をしてからしばらくは忘れていた。その事を思い出したのは今まで2度ある。それは、彼女が亡くなったという知らせをニュースで見たときと、彼女の歌をタイムドメインのスピーカーで聴いたときだ。 邦楽を殆ど聴かなかった。しかし美空ひばりの歌を直に聴いたそのときから、演歌も聴くようになったし、雅楽や民謡さえも聴くようになった。本物の歌、本物の演奏を聴くことで、何かが変わったのかも知れない。そうその時、音楽についての感じ方や思いが変わったのだろう。 彼女と同じ現場で仕事が出来たことを今では感謝している。 偉大なものに接することで、自分の環境や考え方も変わると言うことを身をもって教わったような気がしてならない。 4半世紀前のひばりさんは、ボクの目の前で確実に輝いていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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