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テーマ:心にのこる出来事(94)
カテゴリ:冒険少年の憂鬱
小学2年の時の学級文集のタイトルが「さくらんぼ」だった。
そして、3年生の時のは「はらっぱ」だ。 両方とも同じ担任の先生だった。いつもベレー帽をかぶり、巌という厳めしい名前のままのちょっと厳つい顔の先生だった。 しかし、そのイメージとは裏腹に、時々さくらんぼを買ってきてみんなに食べさせてくれた。そして、国語の時間やホームルームの時間に詩や作文をいっぱい書かせる先生だった。さくらんぼをくれた時は必ず課外授業になる。課外授業と云っても学校の近くの空き地と云うか山の中と云うか、まぁ、そんな場所の草の上に座って授業をするだけなんだ。 でも、ただそれだけの事でもみんなは、その時間を楽しみにしていたと思う。いつもと違うところで風に吹かれて受ける授業は、なんだかウキウキする時間だった。理科の時間に地層についての事柄が出てきたら、 「みんなで、地層を見に行こうか」 と、住宅地にするために切り崩した山の地層を見に行った。 そう、今もその文集は大事にとってある。自分に子どもが出来、小学校に出入りするようになって、またその文集を読み返してみた。 そこには、当時の子供達の純粋な感情の記録がしっかりと残っていて、読み進むうちに知らずと微笑みが浮かんでくる。 その詩や作文の中には、小学校2年生とは思えないくらいの観察力としっかりした気持ちが表現されていて驚いてしまうのだ。 そして、そんな記録を残してくれた先生に改めて感謝の気持ちがこみ上げてくる。 そこは、何の変哲もない普通のはらっぱだった。でも、それはある特別な意味を残してくれたとおもう。少なくともボクにとってはそうだった。クラスのみんなで山に出かけ、誰かがスズメバチの巣に石を投げつけ、みんなで逃げ回ったりしたこと、神社でお百度まいりのまねごとをして、竹藪の小径を通って帰るとき、いっぱい蚊に刺されたこと、先生と一緒に山に水晶の原石を探しに行ったこと、それらの思い出はボクの小さな心の中で今も輝いている。 先生は友達ではなく、色んな事を教えてくれる大人だった。 当時の先生の年齢を超えてしまった自分が、そんな大人になったのだろうかと、その文集を読み返すたびに自問自答しなくてはいけないのでは無いかと思うようになってくるのだ。 その文集の中に「かんちがいはいや」と云うボクが書いた作文がある。母親が自分のことをうまく理解してくれないという事が、子どもらしい表現で綴られていてかわいらしいのだけれど、それが未だに続いている事に、違った意味で驚きを覚えるのだ。 子どもの持つ観察力や理解力は、大人が思うより鋭く、真実を見すえているのかも知れないと。 娘が3年と4年の時の先生が、同じような文集を作っていたので、自分の文集を読み直して、その違いにも驚いた。 子供達の表現力や観察力には、昔と今では歴然とした違いがあった。 その先生はとても熱心で、子どもの事を一生懸命に考えていた。 それ以来、少しでも何かの参考になればと、当時の文集をその先生に見せてあげたく思っている。 情報化社会と呼ばれる現在にあってコミュニケーションと云う人間同士の繋がりの方法が、昔より稀薄になってしまったように思えてならない。それはきっと幼いうちに養われなければならない資質なのかもしれないと思うのだ。 思い出に浸るのではなく、思い出を引き継ぐことって大事なんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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