|
テーマ:心にのこる出来事(94)
カテゴリ:今日の日は贈り物
年賀状配達といっても、郵便局でバイトしたとか、そういう話しではないんです。じゃ、なに? どういう事って、まぁまぁ、そんなにあせらずに! ん? 焦ってなんかないって、ですよね。
中学3年の時、大晦日の夜中、0時になると同時に、自転車に乗って年賀状の配達をはじめる。普通の年賀ハガキに書いてるわけだから、わざわざ自分で配達なんかしなくてもよさそうな気もするでしょうが、何故だか「自分で配達しよう! どうせ配達するなら、新年早々、夜中に行こう!」と思い立ったのだからしかたがない。今ならそんな発想はしないだろう。若いと言うこともあるが、人と違ったことをしたがる質は、このころからあったようだ。 まず、女の子の家にはあまり遅い時間に行くと印象が悪いので、まず配達の順番として、女の子の家からということになる。 配達といっても、ただハガキを郵便受けにいれて回るだけじゃなく、しっかりそのお宅を訪問して、手渡しをするのだ。 これは、やってみると結構楽しかった。 「ごくろうさま、寒かったやろ、おぜんざいでも食べて行きなさい」 とご馳走してくれるお宅があった。雑煮やおせち、お餅までご馳走になり、帰る頃にはお腹いっぱいになってしまった。 楽しくて、高校一年の時もまたもや配達をした。 女の子のおかあさんたちに気に入られて、 「また遊びにおいでね」 なんて、声をかけられ、実際に遊びに行ったこともある。 「なんで、お母さんと話し込んで帰るん?」 と女の子に不思議がられたこともあるほどだ。 それはもう、年賀状配達というより、年始の挨拶回りみたいなものだった。そんなことをするやつは、他にいないと言うのもあるが、殆どのお宅で歓迎された。それは、ボクが思っているほどの歓迎ではなかったかも知れない、ただ、変わったやつやな~程度だったと思う。 それでも、友だちの親たちに挨拶をして、友だちにも新年の挨拶をすることが、ボクにとっては、特別の行事だった。 もちろん全てのお宅の呼び鈴を鳴らして、訪問したわけではない。 何となくベルを押しづらいお宅もあるのだ。犬にほえられ退散したこともある。家構えやその家の雰囲気、友だちとの間柄やその子の性格など、いろんな要素が、ベルを鳴らして訪問するかどうかの判断基準になっていたんだろう。 寒い中を自転車で走りながら、 「自分が家庭を作ったら、友だちや色んな人が気軽に訪れてくれる家をつくりたいな~」 などと、漠然とではあるが、そんなことを思った記憶がある。 それは、自分の家に、あまり来訪者がなかったということにも原因はあるのだろう。 とにかく自転車で走りながら、色んな事を考えた、何を考えて走っていたかは、殆ど思い出すことは出来ないが、ビリビリした寒さの中で巡らした思いだけは、今でも心の土台になっているような気がする。 子どもの頃の正月は、そんな風に特別なものだった。 特別ということに於いては、誰しもも同じようなものだと思う。 そして、その頃の正月は今よりも、もっと特別だった気がする。 お店は、5日ぐらいまで開いてなかったので、お年玉の使い道をあれこれ考える時間もいっぱいあった。 そう、そういう時間が楽しくてしょうがなかったんだ。 今、スローライフが流行るのも分かる気がしてきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[今日の日は贈り物] カテゴリの最新記事
|
|