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カテゴリ:冒険少年の憂鬱
京都駅から新快速に乗り、神戸へ向かう。電車は西宮までしか動いていなかった。駅を出ると、崩れかかった家々が目に入った。
そこは、駅前という体裁を殆どのこしていない。人々の流れも普段とはほど遠い感じだった。戦後まもなくの日本を知っているわけでもないのに、何故か戦後の日本を思い出してしまったのだった。 長机で携帯を売っていた。一般の電話が殆ど通じないことで、携帯を利用する事が、連絡を取りやすい一番の方法だったからだ。 この時を境に携帯電話の普及に弾みが掛かったのも事実だ。無料でもいらないと言っていた人がちが手を出し始めたのも可笑しかった。 皮肉なことに、大惨事が起こったせいで、人と人との繋がりの重大さを再認識させられた気がした。 代替バスに乗るために、乗り場まで少し歩かなければならなかった。 傾いたビルに寄りかかった電柱をくぐり抜け、そして、大きくひび割れた歩道を歩いた。歩道橋に上がると道沿いに並ぶビルたちが、無秩序に傾いている様がなんだか薄気味悪い地獄絵を見せられているようで、なんだかとても嫌な気分にさせられた。 代替バス乗り場は、長蛇の列だった、1ブロックほど離れた最後部に並び、係の人が配っている紙マスクを受け取った。ダイオキシン対策だ。列を眺めると、人波は崩れかかったブロック塀をよける形で、蛇行していた。道の反対側には古い民家がの基礎が建物からはみ出して見えた。というより、建物自体が基礎からずれて傾いていると言う方が正確かもしれない。 やっとの思いで乗り込んだバスの車窓から、崩れかけた風景を、これでもかこれでもかと、見せつけられ、心がつぶされそうになった。 記憶にある風景とはあまりにかけ離れてている街のその姿が、しだいに涙でにじみ、悲しみの向こう側まで見えてきそうだった。 完全に倒壊した家々を何件も何件も目にした。地震の当日、その中で暮らしていた人たちの事を思った。言葉にならない何かが、ボクの中で生まれては崩れていった。昔の風景がフラッシュバックして、目の前の風景に重なろうとする。しかし、結局ぴたりと重なることが出来ずに、次々に消えていく記憶の中の風景。それらは、記憶の引き出しに戻ることも出来ず、ただれた形に姿をかえ、心に傷を付けながら、しまい込まれて行った。 目的の店は、燃えてしまった長田の直ぐ北方向にあった。板宿の商店街の直ぐ近くだった。中に入るまでもなく、その悲惨な状況は手に取るようにわかった。中はというと建物の柱はひび割れ、棚は全て押し倒され、ひしゃげて、ビデオテープやCDのケースが山のように散らかっていた。 ボクは、早速、商品の状態をチェックし、単価をだし、概算の金額を提示した。 「ハッキリした値段は、商品を整理して、数量を確認しないと出せませんので、スタッフを連れて商品を整理しに来たいと思います」 そうやって、その試練の一晩が訪れることになる。 それが、そんなに辛い仕事になるとは、思わなかった。 その時は、「がんばるぞ~」と意気込んで、三宮で、帰りのバスを2時間もかけて乗り、4時間掛かって家まで帰った。 「こんな風景は、2度と見たくない」と思うボクを、その風景が押しつぶそうとしている気がした。 つづく、、、 阪神・淡路大震災(3)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 12, 2015 05:46:16 PM
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