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カテゴリ:健康と美容と病気
若い頃、伯父の体調が悪いと聞いてバイクで幾度か伯父の家までツーリングがてら訪ねたことがある。
伯父はとっても喜んでくれて、味がわからなくなった舌では、美味しく出来るかどうかわからないけど、と何度も何度もいいながら夕食を作ってくれた。 その時のご飯は、涙が出るほど美味しかった。 伯父さんの奥さんは数年前に、同じような病におかされなくなっていたので、嫌な予感はして、気休めでしかないと自覚しつつ、お見舞いの言葉をしゃべっている自分がやるせなかった。 伯父には子供が3人いた。 奥さんが旦那に尊敬の念を抱いて子供を育てなかったため、子供は父親を軽視しているのを、ボクは子供の頃から感じていた。 伯父さんは、体を悪くしてからボクによくこう言った。 「気を使わずに頭を使いなさい」 気を使うことによるストレスを理屈で考えることで納得しようとしていたんだと思う。 その時、キルケゴールの「死に至る病」を読んでいて、伯父さんが陥っているスパイラルと同じものを感じた。 キリスト教的な考え方を一般に置き換えると、その時の状況にぴったりきたんだと思う。 伯父さんの奥さんは、伯父さんのことを父親に頼ってばかりの、頼りない人だと思っていた。 町の顔役てきな役職をして、他人の世話ばかりしている自分の旦那を疎ましく思っていたんだと思う。 ボクからみた伯父さんは、尊敬出来るすてきな人だったけれど、彼女にとって、そうではなかった。 そんなふうにしか生きて来れなかったおばさんは、毎日毎日ストレスをため、ストレスに翻弄されるかのように骨髄の病気になって、若くして死んでいった。 残された伯父さんは、母親の意思を受け継いだ子供たちに囲まれ、おばさんと違う立場で同じようなストレスをため、夫婦して同じような病気になって死んでいった。 不思議なのは、焼き場で見た二人の骨は、同じ場所が全く同じ色をしていたことだ。 「病は気から」というけれど、全くその通りなのかもしれない。 彼らの食生活は、今の僕たちよりよっぽど自然志向で、健康食だったし、田舎だったということもあるけれど、空気もきれいなところで暮らしていた。 ボクの周りで「がん」でなくなった人は、ほぼ100%近く、どうしようもなくやるせない気持ちに陥った人たちだった。 健康な人間でも細胞代謝の中で毎日100万個のがん細胞が生まれているらしい。健康であるって事は、毎日がんと戦って勝っているという事になる。そのころ健康であることの不思議さを感じたのを、今でも鮮明に覚えている。 病気を作るのは自分なんだ、自分の生き方なんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 4, 2008 05:33:10 PM
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