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テーマ:心にのこる出来事(94)
カテゴリ:今日の日は贈り物
宮田先生を偲んで、先生の書き残していた記事「人間の運命」を掲載します。
人間の運命 人間は母の胎内よりこの世に誕生した。その瞬間から運命が始まるのです。皆さんは宿命と運命を同じと考えていらっしゃる方が多いようですが、宿命とは絶対的なもので変えることが出来ないものですが、運命はこのよに生を受け生涯自分の歩いていく道の事です。言葉を変えて申し上げるなら、月夜に道を歩いている時写る影と同じで右に行けば右へ付いてくる、いわば一心同体泣いても笑っても抜き切れないものを背負って行きていく、これが運命なのです。まっすぐ歩く事も曲がった道を進む事も、全て自分の意思のもとに方向付けられていくのです。その大切な”人間と運命”について申し述べさせて頂きます。 白紙でこの世に生まれた人間を物体にたとえて考えるならば、人目をひく立派な国宝級の物もあれば、ゴミの山とされる物もあります。それは一つの物体を作った、親という人の責任になるのです。誰でも得がたい国宝級のものが欲しいのです。それはあくまでも理想、あるいは願望であって、現実に我に返った時はどうでしょう。立派に作り上げるべき物が、根本的に間違っていた事に気づかれた事はないでしょうか。しかしその時点では遅いのです。もはや基礎ができ、固まってしまい、その物体を破壊しないかぎり元には戻らないのです。品物ならば取換えも出来ましょうが、人間はそんなに簡単な物ではありません。そこでゴミの山の一部になった人の為、世の中の為にならない出来そこなった人間が一人増えたのです。こうした人間ばかりが増えたらば、どうなるでしょう。言わずとも結果はおわかりでしょう。前途洋々とした運命を持ちながら、目的を決めず唯々親の欲望の為、大切な基本を間違えたばかりに、とんでもない方向に進んでしまうことにもなるのです。全て目的を間違ってはいけないということです。ある一定の時期までは親は形を作り基盤をこしらえる責任があるのです。 芸術家が、一心不乱に無の心境で制作している、目的の為欲望を捨て打ち込んでいる姿、その姿によってこそ尊い立派な芸術が出来上がるのです。人間にとって無の心が何より尊いのです。それが子供という立派な作品になり、親の意思が子供に受け継がれるのです。欲のない人間は世には居ないのです。それが強いか弱いかの違いだけです。我欲が個々に強く出たりする結果が、社会を暗く停滞させてしまうのです。 昔は人生60年と云われましたが、今は医学が発達し70年としましょう。その時自分の歩んで来た過去を振り返って、欲望の強かった人と弱かった人が反省する場合、どちらが良心的に悔いが少ないか、考えてみましょう。白紙になって辿って来た道、運命を振り返る時、私はやはり欲望の弱かった人の方が悔いの度合いが少ないと思います。そうした人生を歩んで来た人は常に自分を磨き、努力し、運命に忠実であったでしょう。いかに苦境に立たされても不満もいわず、黙々と与えられた運命に対応し、喜怒哀楽を極端に顔に出さず笑顔のあったひとだと想像致します。そうした心を持っておられる方には、運命なんて難しい言葉は無いのです。運命とは自分で作り、自分で切り開いて行くものなのです。親からの基礎の出来上がった作品として成人させてもらい、世の中に出発させてもらった時点より、自分の作品は自分で磨き上げて行くのです。怠ければ光も出なく、人の目にも止まらないでしょう。努力する人は立派な輝きを出し、ほめたたえられる作品になって、金銭では計れないほど価値のある物になるでしょう。 始めに申し上げたように自分の辿る人生、つまり運命は一心同体の影法師、右へ行ったり左へ行ったりする自分の姿を見つめてください。その姿をまた他人が見ていると云うことにもなります。そうすれば如何に大切な一生であるか、二度と無い現在、叉元へ帰りたくても帰れない、やり直しのきかない今を大切に忠実に送らなくてはいけないと云う事が、分かってくるはずです。それを早くキャッチして頂きたいと思います。 宮田 華汝(「四柱推命」・運命鑑定・命名師) 1982年3月14日 雑誌「現代文化」掲載 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 23, 2014 09:14:03 PM
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