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テーマ:心にのこる出来事(94)
カテゴリ:冒険少年の憂鬱
実家の私物を整理していて、昔のカセットテーブがたくさん出てきた、
その中に、深夜放送を録音したテープを発見。 テープ自体は、切れてしまっていてそのままでは再生できない状態だったので、 カセットを分解してテープを繋ぎ合わせて、パソコンに取り込んでみた。 それは中学の時に理科を教えてくれた小堀修先生が亡くなられたことの投稿が読まれたラジオ番組のテープだった。 新卒で赴任されて、ボクたちの中2と中3の理科を担当されていた。 担任を受け持ってもらったことはないのだけれど、いつも気になる先生だった。 ある時、何についてなのかは今は思い出せないけれど、小堀先生に質問したことがあった。 「そうだね〜、これはなかなか難しいので、持ち帰って調べてきていいですか?」 と言って、その質問を持ち帰られた。 後日、授業が終わった時、わざわざボクの席までやってこられて、 「いろいろ調べたんだけど、よくわからなかったんです。また調べておくね」 と正直に言ってくれました。 結局疑問は解決しなかったけれど、なぜか嬉しかったのを覚えています。 そんな小堀先生ですが、学年主任の先生には何故かよく思われていませんでした。 何かの集会で体育館に学生が集まっていた時に、小堀先生が何かを発言した時も、 「君は黙っていなさい!」 と、その学年主任の先生に罵倒されていたのを覚えています。 学校にGパンを履いてきたことや生徒の前で弾き語りで歌を歌った事などで、 咎められたのか、それとも他に何かあったのかは、当時のボクには推し量る事は出来ませんでした。 でも小堀先生は、多くの生徒から慕われていたことは知っていました。 いつも一生懸命な姿や、物事に誠実に対処する姿を見ていたからです。 先生は、自分が思い描いていた教師像と自分のギャップを重く感じていたのかもしれません。 多分真実は誰にもわからないでしょう。 しかし、大人の嫌な部分、どうしようもない確執が存在することを、ボクは、どうしようもなく不愉快に思っていた。 先生がコタツに入ったままで亡くなっていたと聞いた時、 どんな思いでいたんだろうと、当時は、何度も何度も思い浮かべたのでした。 先日ブログに書いたミミさんとの手紙を読んでも、先生の事を書いて送っていた事がわかり、 結構真剣に思いを馳せていたのがわかりました。 先生が授業をしている姿を、今でもはっきり思い出す事ができます。 当時、長岡京市立長岡中学校に通っていた生徒のなかで、小堀先生の事をはっきりと覚えている人は、どれぐらいいるんでしょうね。 ボクにとって、いろんな事が起こった中学時代のなかでも、小堀先生のことは、深く心に刻まれています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 30, 2017 07:10:15 PM
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