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面白い話しだと思う
---- イェール大卒、元商社マン落語家のキャリア論 【キャリア相談 特別編】第1回 (C)東洋経済オンライン 何かにつけ不確実性の高い現代。一生安泰の仕事も、未来永劫つぶれない企業も存在しない。自分の仕事に明日があるのか――それをつねに考えておかないといけない時代だ。 この連載では、悩めるビジネスパーソンからのキャリア相談を募集。外資系金融、コンサル、ライブドア、企業再生コンサルなどを渡り歩き、数多くの業界やスタートアップに精通する塩野誠・経営共創基盤(IGPI)パートナーに、実践的なアドバイスをしてもらう。 今回は特別版として、イェール大学卒業後、三井物産勤務を経て、現在、落語家として活躍する立川志の春氏とのキャリア対談をお届けする。 イェール大学で受けた衝撃 塩野:志の春さんはイェール大学を出て、三井物産に勤め、現在、落語家として活躍中です。まずは今までのキャリアについて、詳しくお聞きできますか。 志の春:僕は小学校のとき、親父の仕事の都合で3年間くらいニューヨークにいて、小学6年のときに帰国し、中高時代を日本で過ごしました。そこは帰国子女のための英語の授業があるようなところだったので、英語をあまり忘れずにいられた。それで高校2年生頃になると、大学進学とか進路について考えるようになるのですが、僕はまだ自分の中でやりたいものが見つかっていないのに、偏差値だけで進路を決めるのが嫌だったのです。そうしたら先生が、「アメリカの大学に行くなら3年まで志望校を決めなくていい」と言うので、日本から書類を送って9校ぐらい受け、合格した中にイェールがありました。 塩野:日本の高校からイェールに行かれて、どうでした? 志の春:1週間ぐらいで早くも自信喪失して、どん底状態に陥りましたね。世界中から優秀な学生が集まっていて、国から学費をもらって来ている人もたくさんいるわけですよ。学費を自分で払っている時点でもう三流。特待生でようやく二流。一流はもう全然ワケのわからない世界。 塩野:王族で、なおかつ理系エリートで特待生みたいな人、本当にいますからね。 志の春:そうそう。王族ならカネあるんじゃねえかと思いますが、大学側がどうしても来てくださいというから来てるんですよ。日本にだって勉強のできるやつはいるし、運動のできるやつもいる。でもひとりの人が勉強も運動も芸術も全部すごくて、それも全国で何位というレベルのやつはなかなかいないでしょう。 塩野:そうですね。県どころか、市でも難しいですね。 志の春:そういう人たちと話をすると、これは次元が違うとすぐわかる。僕は普通の18歳だけど、飛び級で16歳で来ているようなやつは、精神年齢はもう35歳くらいなんですよ。 塩野:おっさんじゃないですか。 志の春:おっさんですよ。彼らは「教授から教わる」という感じじゃないんですよね。知識を得るのは本やネットでいくらでもできるから、教授はその知識を基に討論をして自分の考えを試す相手、くらいの感覚。教授から何か学ぼうとしている時点で、出遅れていることになるわけです。 親に猛反対されるメリット 塩野:なるほど。素朴な疑問ですが、なぜ16歳でそこまで完成度の高い人が出来上がるのでしょうね。 志の春:たぶん小さい頃から、この子はできるとわかった時点で、親も学校も遠慮なくそれを伸ばしていくからでしょう。日本だと周りが止める感じがあるじゃないですか。できすぎるからいじめてやろうとか、「普通であれ」みたいなプレッシャーがあるけれど、それがないのでしょうね。 塩野:確かに「普通であれ」プレッシャーはありますね。それじゃ、そういう環境で、どうやって存在感を示そうとしたのですか。 志の春:それはイェールにいる間中、僕の課題でした。僕が300年勉強しても知識の量では彼らに追いつけない。でも僕の日本人独特の視点が面白がられることもあり、それですごく日本を意識するようになりました。 塩野:ああ、なるほど。そういうことは海外に出るとよくありますね。 志の春:なにしろアメリカ人の友達に「お前な、クロサワの映画っていいんだぜ」と言われて、初めて字幕つきの『七人の侍』を見ましたから。 塩野:最近でこそハーバード、イェール、アマーストなど、海外の大学に親御さんが子どもを行かせるような風潮が出てきましたが、志の春さんは、完全に第1世代ですよね。 志の春:僕のときは親は猛反対でした。就職に不利だと。 塩野:わかります。今では隔世の感がありますが、私も同じように小学校、中学校とニューヨークにいて、当時は勉強でもビジネスでも日本が最高だから、とにかく日本語を忘れないように、日本の勉強についていけるようにするのが優先でしたから。その猛反対をどうやって説得されたのですか。 志の春:後日、師匠志の輔に入門したときもそうだったのですが、反対されると燃えるんですね。親に反対されるって、たぶんいいことだと思うんですよ。 塩野:それはもう、ありとあらゆる就活学生に言ってほしいですね。私が思うに、今、就職活動におけるいちばんの問題は親。本人が「このベンチャーに行きたい」と言っても、親が「何を言ってるの、あなた。三井物産にしなさい」と言ったら、「わかりました」となってしまうのです。 志の春:だって親の常識は25年前くらい前の常識じゃないですか。もう時代も違うし、自分が直感で「これだ!」と思った時点で、それが自分にとっては正しいと思いますよ。 三井物産を選んだ理由 塩野:イェールに行っていちばんよかったことは何ですか。 志の春:寮生活ですね。あとは週1回、20〜30人ぐらいの少人数のディベートの授業があった。それが、今、落語につながっていると思います。 塩野:まさか、イェールのディベートが落語につながるとは。 志の春:落語って、ある意味、ディベート的な部分があるんですよ。2人の人物が「僕はこう思う」「いや、私はこう思う」というやり取りを続けていくでしょう。くだらない事柄についてだったりしますが、2人の意見がぶつかる中で価値観がずれていくのが面白い。新作落語を作るときも、ディベートの技術が役立ちますね。 塩野:そこから、どういう社会人になろうとしましたか。 志の春:卒業したら日本に帰ろうとは思っていました。自分の国のことを知らなすぎるから、もっと日本を知ってから、海外に向けて何かしようと思っていた。それで3年生が終わった夏休み、日本に帰っているときに、海外大学卒業者向けのちょっと遅い就職試験が三菱商事と三井物産で行われると知った。僕自身は卒業してから就職活動してもいいやと思っていたのですが、来年の練習のつもりで両社に行ったのです。それで三井物産に。 塩野:なぜ三菱商事でなく、三井物産に? 志の春:人事の女性がすごくきれいだったもので(笑)。 塩野:それは大事ですね(笑)。 志の春:アメリカでは、みんなガリ勉でおしゃれなんか無縁ですから。基本的にいつもスウェットを着て、化粧もしない。 塩野:シャンプーした後の生乾きの髪で授業を受ける女性もいますよね。 志の春:まあそれが色っぽい部分もありますけど。それでもう三井物産しかないと。 塩野:落語の登場人物みたい(笑)。入社後はどういうところに配属に? 志の春:最初はオフィスワーク系で金属部門金属総括部に配属され、それから半年ぐらいで鉄鉱石部の営業に移りました。 塩野:商社は楽しかったですか? 志の春:楽しかったですね。三井物産は部署によっては若い人でもひとつの商品を担当しますが、鉄鉱石部はまったくそういうことがない。扱う単位も大きいし、相手は鉄鋼6社など大企業なので、話し合いをするのは部長とか本部長レベルだし、契約は年間なので、僕みたいな下っ端の人間は別に何をやるわけでもない。 塩野:それじゃ、具体的にはどういうことをされていたのですか。 志の春:オーストラリアに鉱山があって、日々、向こうの港の船の状態などの情報が入ってくるのでそれを確かめて、製鉄会社の担当の方のところに行って、「今こういう状況です」みたいなことを伝える。だから世間話をしに行くという感じでした。 塩野:一緒に働いてらした人々はどうでしたか。 志の春:みんな鉄鉱石を愛してましたね。上司なんか、「これは豪州のなんとか鉱山で採れたヘマタイトという石なんだよ。ほら、キラキラしてきれいだろ。この中には60%の鉄が入っている。俺たちは日本にある鉄の何%を動かしているんだ」。 ―――― その2に続く ―――― お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.05.08 23:14:40
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