カテゴリ:L 【人生】【死生観】
COUNT YOUR BLESSINGS
と言う言葉があることは、知っていたが これはもともと COUNT YOUR BLESSINGS, ONE BY ONE というキリスト教の賛美歌の歌詞の一部である と言う事は,知らなかった 今日、ググって見て,はじめて知ったのだが ● BLESSINGS とは 「神に与えられた祝福」で 可算名詞だから(笑) ひとつひとつ数え上げることが出来て 複数形である ただし ・ 自分は数えてみたが,祝福が「一つしかなかった」という人や(笑) ・ 「一つもなかった」(笑) と言う,悲惨な人もいるだろう(笑) 私は,無神論者で 宗教では無く哲学だと思うブッダの仏教 (後に、愚かな人々によって「宗教」に昇格してしまったが) に,共感を感じている それに 「キリスト教は、差別の宗教で 歴史的に見ると人類に大きな罪悪を犯した」 と思っている人間で 神の存在も信じてはいない ※ もっとも、宗教とは,差別するから宗教なのだが 特に、盲目的に信仰するもののみを対象とするのが キリスト教・ユダヤ教・イスラム教などの 中東で生まれた、同根の一神教 だから、 「(キリスト教の)神によって 個人個人に与えられた祝福」 などと言う言葉には抵抗がある それでも 人間には ・ 悪いことも相当多いが ・ 生きてきてよかった! という事も多い とも、思っている 自分個人は (1) ろくでもない人間だが、それなりに、いいところもあるし (2) 幸運な部分も(中には)(笑)少しはある そうも、思っている 実は この(2)の部分が キリスト教徒達が言う所の 神の祝福「BLESSINGS」に相当すると思う 人によっては「BLESSING」と、単数かも(笑) 残念!(笑) ---- しかし 大切なことは この BLESSINGS の COUNT は、 ごく身近なことから加算可能と言う点だ 自分のBLESSINGが単数だとか(笑) ゼロだとか言う人間は そもそも COUNTの基準が間違っているだけなのだ ---- 分かりやすい例がある ある時 ある人間が ベトナム人の僧侶に (こ場合、だから仏教の祝福の話になるが) 「与えられた祝福とは、どういうものなのか?」 と尋ねたところ 僧侶は 「目を閉じてみなさい」という 目を閉じたら 「目を開いてみなさい」という 「これがどうして祝福なのですか?」 と、問うと 「ものが見えると言う事が、平凡ではあるが すでに大きな祝福なのです」 と言われたという 目だけでも祝福なのだから 顔面上の諸器官だけでも、いろいろあるだろう(笑) たとえば 次は、鼻 → 嗅覚に恵まれている その次は、口 → 味覚は、口があるおかげ 言葉も、口があるからこそ 人によっては キス出来るのがありがたいとか(笑) ほぼ無限だと思う 私も、おかげさまで ブログを書く才覚に恵まれている (オイオイ) 海外旅行に出かけることが出来るレベルの 体力と健康に恵まれている 人の悪口をいっぱい書ける(笑) (コレコレ) まあ、限りがないな~ 究極的には ● 生きて居ることだけでも BLESSING だと思う 特に,仏教的にはね ―――― 他の過去ログ ―――― 関連して思いだしたのだが 人生観についての過去ログがあるので 再録してみる タイトル ♪変えられないものを受け入れる力♪ ♪そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ♪ 2004/12/13 (十年以上前の記事なんだ) ---- 本文 楓。。さんのサイトで次のような歌詞を見付けた。 ~~~~~~~~~ ♪ だって「つまずきながら」って 口で言う程 楽じゃないはずでしょう たまには痛さもいいよね リスクがあるからこそ信じることに意味があるのさ 迷わないなんて無理 愛情向かって左に欠乏だから君が必要 変えられないものを受け入れる力 そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ やっぱ痛いのはイヤだけど リスクがあるからこそ戦う程に強くなるのさ 怖れないなんて無理 癒せない傷なんてない リスクがあるからこそ愛する程にせつないのかな そんなに悪くはない どこか遠くへ逃げたら楽になるのかな そんなわけ無いよね どこにいたって私は私なんだから 悩みなんて一つの通過点 大きすぎるブレスレットのようにするり 宇多田ヒカル 「Wait&See」 ~~~~~~~~~ 宇多田ヒカルの曲の歌詞なのだ ただ 私から言わせれば、 この中で、この一節は、部分的盗作だよ、ヒカルちゃん! (本気じゃないけれど) ♪ 変えられないものを受け入れる力 そして受け入れられないものを 変える力をちょうだいよ♪ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 私はまだ読んでいないが、 「BACK TO THE FUTURE」などに主演した 映画スター、マイケル・J・フォックスが書いた本に 「ラッキーマン」がある。 パーキンソン病(退行性の神経疾患)を患い 10年以上の闘病生活を送っている彼が、 ユーモアをまじえて、 自分の人生と闘病生活を書いたもの この本の中で 彼が自分のモットーとしている言葉に下記がある としている ~~~~~~~~~ God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other. Reinhold Niebuhr 主よ 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。 ラインホールド・ニーバー ~~~~~~~~~ アメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバー(1892-1971)が マサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で 1943年の夏に説教したときの祈りで、 アメリカでは、 "The Serenity Prayer"として知られているという。 (中略) 私は約二年前に、楽天のある日記の マイケル・j・フォックス関連の話題に対して、 この言葉を書き込んだことがある この言葉、本当にいい言葉だな~。 「人事を尽くして天命を待つ」的な感じがある。 「一日の労苦は,一日にして足れり」 とも、共通する 神の前での人間というものの限界を考えさせられると共に、 自分の出来ないことには責任を持ち過ぎなくてもいいのだという事で、 なんだか気が楽になる様な気がする。 ―――― ◇ ―――― まあ、荷物は,他人にかついでもらうと楽になる 悩みとは,荷物だ そういうことだと思う (それだけかい?)(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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