カテゴリ:L 【人生】【死生観】
モモンガさんのブログのコピペと私のコメント
―――― モモンガさん ―――― 中村天風「叡智のひびき」 天風箴言の註釈本です。 31日分あるので、一日一言・・として、手帳に貼っておこうと思っています。 箴言 二 何事を為すにも報償を超越して それを自己の責務なりと思うて行う時その行為は尊とい。 ベートーベンの言葉と同じですね。 「つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を思うな。 報酬への期待を行為のバネとする人々の一人となるな。」 ・・・ややもすると報酬を期待してしまいます。 でも、ふと気づくと一生懸命やってしまっていた、という我を忘れる瞬間 というには理屈抜きに楽しいです。 箴言 八 不平や不満を口にすることを恥ずかしいことだと気がつくようになったら 少なくとも自己統御ができてきた証拠である。 こういう感覚って、すごく大切なことだと思います。 もともと不満を表することが少ない(・・なんて自分で思っている時点でダメなんでしょうが)方か、 と思っていますが、プロジェクト推進上、持ち場立場で、適切なクレームを上げる必要があります。 よく「怒る」と「叱る」は異なると言われますが、他の場合においても、感情の流れるままに 人にあたるのだけは注意しようと思っています。 箴言 十三 活きる事の努力のみに追われて生活の中の情味というものを味わはないと 人生とはどんな場合にも真の生きがいというものを感じない 「生活の中の情味」って、なんか良いですね。 功利的なものだけではなく、 文学・詩や音楽のある生活を! 箴言 二十 何人といえども反省を人にしうる権利はない 反省ということは自分自身につつましやかに為すべきものである アル・カポネでさえ自己正当化していたのだから、他の人においておや、ですね。 ここでも、人を変えるより、自分を変えた方が早いんだ、と再認識させられます。 ―――― alex99の感想 ―――― ここからは、 モモンガさんの記事を読んだ私の感想だが 箴言 二 ○ 報酬を期待するな ベートーベン 以前の記事でも触れた言葉だ ---- 箴言 八 不平や不満を口にすることを恥ずかしいことだ・・・ まあ、不平不満は、立派なことでは無いが あまり、抑制しすぎても・・・ 適当に、ガス抜き、することも、いいのではないか? 要は 自分を客観視出来れば、いいのでは無いか? ---- 箴言 十三 活きる事の努力のみに追われて生活の中の情味というものを味わはないと これは、いい視点だ それに、私は、このポイントに関しては かなり、自覚がある 人生を この一瞬を この幸福を この人生の「情味」を この人生の「滋味」を 出来る限り、味わっておこうと思うことが多い それも、ほんの、ちょっとしたことに ほんの、ちょっとした、喜びや、味わいに、 気を止める事 別に、金が無くても、出来ることだ というか これが出来る人は、幸福だ 飯を食べても 味わいながら食べるのと そうでないのでは、人生が違ってくる これが出来ない人は 大金持ちになって 好きなものを、ど~~んと、すべて自分のものにした時、ぐらいだろう 「幸せ」というか 「情味」を感じるのは 今の昭和天皇のこども時代 GHQがつけた家庭教師が 米国人でクェーカー教徒のバイニング夫人 彼女が語った言葉に 「MINOR ECSTACY マイナー・エクスタシー] と言うものがある 「小さな幸せ」(笑)に似た感じかな? エクスタシーと言うと 性的な快感を思い浮かべる人が多いかも知れないが(笑) 私は、違う (オイオイ) バイニング夫人は 日常生活の仲で、そういう小さな喜びを見つけることが 幸せなのだと、言っていたはず しかし、これは、もともと 日本人の感性だと思うのだが 俳句など、その典型ではないか? 平凡な市井の人間が、ふとした事に、美や安らぎを感じる ---- よく見れば薺(ナズナ)花咲く垣根かな 芭蕉 有名な芭蕉の句だが ここにも、小さな発見がある 情味がある 日本人は、すべての日本人 と言っていいほど、俳句をたしなむ 人生の情味を発見し、味わう天才的な民族である と言いきってもいいのでは無いか? 欧米人に 日本のあらゆる新聞には 一般庶民が投稿する短詩のコーナーがかならずある ほぼすべての日本人は、そんな短詩=俳句を作る と言うと びっくり仰天する 詩を書くなどと言う高踏的な趣味は 西洋では、限られた人間しか持っていない しかし、日本では、ほぼ、万人が俳句をひねる 我々は、気が付かない、自覚が無いのだが 日本人という民族は、やはり、ある意味、ユニークな民族なのだ ---- 日常の中の小さな発見 情味を味わう そういうことと関連して思うのは 日本人は ● 足るを知る という感覚が身についた民族でもあると言う事 王侯貴族には、成れもしないし、それを望みもしないが 俳句という、小さな小刀で、人生を、切り取って 自分なりに、味わい楽しむ 日本人は、そんな状況にいても 「短い生命ではあっても、生かして戴いている」 という運命を つつましく、実証的に、確認しようとしている いいではないか? ---- 神の視点で、天に見られる そんな客観的な運命も人生だが 自分で世界を見る 発見して行く というスタンスもありだ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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