カテゴリ:L 【人生】【死生観】
ヘルマン・ヘッセが老年と死について書いた本
ある通販サイトに書かれた本書へのレビューをコピペ 私は、若い頃、ヘルマン・ヘッセの小説を愛読した ヘッセは、内省的な若者の心理をテーマにした小説が多い そのドイツ的な真面目さが、私自身とかぶるのである(笑) このごろ 人生論 幸福論 と言う類に興味を持っている 人間が生きる意味や、幸福について いろいろ考えてきたのだが 偉大なる文学者が、私に代わって書いてくれているものを読む方が 手っ取り早くヒントを手に入れることが出来る と、気が付いたのだ ということで これから、人生論・幸福論の本を、取り上げてみたい とりあえず、 ここは、ヘルマン・ヘッセから始めたい それに、ここが重要なのだが その本を実際に読むのは 目が悪くなった私には、相当な負担なので 通販サイトでの本のレビューを読めば 優秀な読者が、私に代わって、感想を述べてくれる それを、私が、ここにコピペする 我ながら、私は、頭がいい(笑) ずるいとも言うが(笑) ―――― レビューのコピペ ―――― 若い頃、夢中になった『ペーター・カーメンツィント』『車輪の下』『デーミアン』 などの著者、ヘルマン・ヘッセが老年と死について著した本があると聞き、 『人は成熟するにつれて若くなる』 (ヘルマン・ヘッセ著、フォルカー・ミヒェルス編、岡田朝雄訳、草思社文庫)を手にした。 本書には、上記をテーマとするエッセイと詩が収められている。 「老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじように、 その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ」。 「老齢が苦しみをもたらすこと、そしてその終点に死があることは誰でも知っている。 私たちは年ごとにいけにえを捧げ、諦めなければならない。 私たちは自分たちの感覚と力に不審を抱くことを学ばなくてはならない」。 老年のマイナス面が強調され過ぎているのではないかと感じたが、 そこはヘッセ、このままでは終わらない。 「六十年、七十年来もうこの世にはいない人びとの姿と人びとの顔が私たちの心に生きつづけ、 私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たちを見つめるのである。 いつの間にかなくなってしまった、あるいはすっかり変わってしまった 家や、庭や、町を、私たちは昔のままに、完全な姿で見る。 そして私たちが何十年も前に旅の途上で見たはるかな山々や海岸を、 私たちは鮮やかに、色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に再発見する。 見ること、観察すること、瞑想することが、しだいに習慣となり、訓練となって、 気づかぬうちに観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる。 望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たちは人間の大部分がそうであるように、 私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、あせり、いらいらし、緊張し、期待に満ち、 実現あるいは幻滅のたびごとに激しく興奮してきた。 ――そして今日、私たち自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆と狂奔から逃れて 「ヴィータ・コンテムプラティーヴァ」、すなわち「静観の生活」に到達したことが、 どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚嘆するのである」。 全く同感である。若い人たちには、この老年の素晴らしさは到底分かるまい。 ―――― 私の感想 ―――― う~む なるほど 結局、老年の感慨として 静観の生活への到達か 私も同感である 血の気の多い私とは言え これでも、老齢のせいで かなり静観へ近くなった 人生に焦りが無くなったというか 自分に言い聞かせているところもあるが(笑) まあ、おそかれはやかれ、我々は、死を迎えるのだ 死の恐怖に打ち勝つには 宇宙についての最新の成果などを知ればいい 宇宙の中の私など、塵(ちり)や、埃(埃)ほどの存在でもない と思うと、静観の域に達する とは言いながら 死の間際には、焦るものかも知れない 塵でも埃でも、存在が永遠に無になるのは、いやなのだ(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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