テーマ:考えたこと 想い出したこと 読んだ本(329)
カテゴリ:【防衛】安全保障 改憲 沖縄
これは十年前に書いた過去ログである
コメントが多くよせられている
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今日のNHKのBSで「プッチーニ特集・三部作」があった
私の一番好きなオペラの作曲家はプッチーニである
世評ではヴェルディーが最も偉大なオペラの作曲家らしいが、私の好きな作曲家はは断トツにプッチーニである
ちょっと俗な、あの甘美さがいい
それがイタリア音楽の神髄では無いか?
私の最も好きなオペラのアリアは、下記の四曲である
気がつけば、みなプッチーニである
○ ある晴れた日に (蝶々夫人)
○ 星はきらめき (トスカ)
○ だれも寝てはならぬ (トゥーランドット)
○ 私のお父さん (ジャンニ・スキッキ)
私は涙もろくはないのだが、この四曲の中の
「ある晴れた日に」と
「星はきらめき」
を聴くと、涙が出る時がある
いや、私は泣いてはいない
涙が出るだけである
泣くという行為には、自分が楽になろうという自意識があるが、涙が出るという場合はそんな自意識も持てない
―――― ◇ ――――
「蝶々夫人」と言えば、昔、八千草薫主演の映画を観た
母に連れられて観に行ったのだが
この映画は日伊合作で、撮影はイタリアの国立撮影所
役者は主に日本人だが、歌は口パクでイタリアのオペラ歌手が歌っている
もちろん八千草薫さんが蝶々夫人である
このころの八千草薫さんの美しさと可憐さは正に蝶々夫人である
私は海外で一度、日本で一度、蝶々夫人のオペラを観た
海外では、どうも蝶々夫人の着物が粗末だったり、歩き方が堂々としすぎていたりという違和感があった
日本では、東敦子さんの蝶々夫人を観た
東敦子さんの蝶々夫人も美しく楚々とした蝶々夫人だった
それにしても、日本の民謡などを巧みに取り入れたプッチーニの音楽と、美しい舞台
このオペラは、実に美しく哀切である
ブロードウェイ・ミュージカルに「ミス・サイゴン」というのがある
これは蝶々夫人を下敷きにしたものらしい
私はヴィエトナムにもヴィエトナムの女性にも (笑) ひとかたならぬ思いがあるので、こんど米国へ行ったら、もしまだブロードウェイにかかっていたら、ぜひ観て来ようと思う
―――― ◇ ――――
ちょっと話題が変わるが・・・
蝶々夫人がピンカートンを思うほどには、ピンカートンは蝶々夫人への深い愛情を持ってはいなかったというのがこのオペラの主題である
このピンカートンと蝶々夫人との関係は日米の、日米安保に似ているのではないか?
ピンカートンの愛情は、長崎での同棲期間だけのもので、米国へ帰ってからは蝶々夫人との想い出は日々に遠くなり、当然のように、米国人の妻を娶る
日米安保もそろそろ、そんな状況に差しかかったのではないか?
―――― ◇ ――――
日本の敗戦後、米国は日本を植民地として、軍事的には日本を外敵から庇護した
米国の大事な植民地だから当然である
世界的に見れば日本は、米国の植民地で、米国が軍事的に日本を守っているのだから日本に手を出す国は、今まではなかった
日本は軍隊と交戦権を取り上げられ、一人前扱いはされなかったが、お妾さんとして腕力に秀でた旦那に「大事に」扱ってもらっていた
このお妾さんは、旦那からお手当はもらえず、むしろ妾の方から旦那の宿泊費を払うなど、尽くすタイプである
サンフランシスコ講和条約で日本が独立国になってからの両国は、日米安保という同盟関係を結んで米軍の駐留を正当化し、日本はわずかに専守防衛を旨とする自衛隊を持つこととなったが、米国の軍事力の傘の下にいるという状況は基本的に変わらないままで今日まで来ている
日本の専守防衛とは、蝶々夫人が、懐に忍ばせている小刀、ぐらいのものである
もし、暴漢に襲われたら、それを取り出して、空しい抵抗をする
それぐらいのものかな?
しかし、米国は最近、同盟国日本の主権が侵されている拉致問題を無視して、悪の枢軸とまでののしった北朝鮮に対して、経済制裁を解除した
明確な同盟関係に対するうらぎりであり、極東政策の変更である
旦那が変心しても妾としてはちょっとふくれてみせる程度の事しかできない
さもないと家庭内暴力を受けるかも知れない
またもうすぐオバマ新大統領となり、伝統的に保護主義的な民主党政権となる
このオバマ政権の人事の指名はほぼ終了しているが、高圧的な通商政策で日本を攻撃した、日本を無視して中国に接近しジャパン・パッシングした、クリントン政権の焼き直しの様なものに見える
米国はすでに中国しか眼中にないのではないか?
下手をすると米中同盟というものが本当になるかも知れない
とにかく早晩、極東の勢力図が塗り変わる
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これからの日米関係・日米安保はどうなるのか?
ますます強大になる中国を考えれば、日米関係も流動的になりそうである
米国も、日本を不沈空母として必要としない時期が来そうである
経済的には米国の一極支配が終焉し、軍事的にも極東における米軍のプレゼンスを低下させるかもしれない
こう考えてみれば、日本も「日米安保抜きの日本」という状況を一刻も早く真剣にイメージしなければならない
―――― ◇ ――――
本来、国家は軍隊と交戦権があっての国家である
平和主義を唱えるだけで平和が保たれた例は、ほとんど無い
平和、平和、と言いながら、その実
軍事力を持ってバランスを保てるからの平和である
軍事力の無い国が唱える平和など、すぐに、踏みにじられる
今までは日米安保というものを前提に国防をはじめ全てのことを考え、論じてきた日本国民であるが、これからは、そうも行かない
憲法上、自衛隊を軍隊と明記し、交戦権を明記しなければ、この日本がまともな国家でないということが、やっと、はじめて、今にいたって分かったのである
―――― ◇ ――――
相変わらず、改憲派を非難する護憲派であるが、彼等は実際の所、日米安保をどのように受け止めてきたのだろうか?
改憲派は日米安保の脆弱性を感じている
いつかは米国に捨てられる日が来ることを案じている
だから改憲を唱える
しかし一方、意外と思われるかも知れないが、私から言わせれば、
実は護憲派たちこそが、だれよりも日米安保というものを信頼し、享受し、頼りにしてきた人達である
彼等は改憲と日米安保を激しく批判しながら、実は「日米安保の存在・米国の軍事力に守られている日本」という現実を肯定し、その環境でなんの不安も感じずに、のうのうと生きてきた人達である
日米安保という軍事力があるから、信頼しているから、それを前提にして、「軍隊の廃止」「交戦権の放棄」などと、日本の丸裸状態を望む
軍事力と交戦権の放棄というものが、「日米安保無しには絶対に成立しない」ことを知りながら護憲を叫び続ける
それがどれだけ奇妙なことかを自覚しない人達である
要するに米国の軍事力に丸乗りするのである
米国の悪口をいいながら、米国に全面的に依存する人達である
日本国民には、この奇妙な状況が全く見えていない
視界内に無いのである