カテゴリ:V 【過去ログ 迫田さおり選手 その1】
ーーー 記事 ーーー この会見記事は以下の三部に分かれる ―――― 1 代理人の挨拶と説明 ――――
. アメリカンフットボールの定期戦での悪質なタックルで関学大の選手を負傷させた日大の宮川泰介選手(20)が22日、都内の日本記者クラブで会見した。
内田正人監督に試合当日、「潰しにいくから(試合で)使って下さい」と申し出たところ、「やらないと意味がないぞ」と言われ、コーチからも「できませんでは済まされない。分かってるな」と念を押されたという。 選手の代理人弁護士が会見の冒頭で説明した内容は以下のとおり。
代理人の西畠正弁護士 同じく、横におりますのが、薬師寺孝亮弁護士です。二人で担当させていただいております。 それでは着席させていただきます。 しかし、ご本人、ご両親とも、この会見が事実について詳らかにするだけではなくて、むしろ被害者、被害選手とそのご家族、それから関西学院大学アメリカンフットボールチームに対する謝罪の意味が強いという捉え方をしていますので、一言で言うと、顔を出さない謝罪はないだろうと。顔を出さなくて何が謝罪だろうということを考えて、あえて撮影を受けることにいたしました。 氏名についても、あえて秘匿するまでもないということをおっしゃってます。しかし、私どもとしては、代理人としては長い将来のある若者です。この先、どのような不測の事態があるとも限りませんし、被害が被らないとも限りません。そういうことにぜひご配慮いただいて、できればずっとアップで撮るようなことは避けていただいて、格別のご配慮をいただければと。冒頭にこれを申し上げておきたいと思います。 それで私の方からは、この会見の主旨と、この会見に至った経緯を簡単にご説明します。お手元に配布資料が配られていると思います。どちらが表かはわかりませんが、日付が入っている方に、本日の記者会見の主旨と開くに至った経緯、経過表というのが記載してございます。これに基づいてお話をさせていただきます。若干の時間をいただきます。 この会見にいま申し上げたおわかりかと思うのですが、今年の5月6日に行われた日大アメフト部と関大アメフト部との第51回定期戦において、日大チームの選手、この当該選手が行った反則行為によって、関学大のチームのクオーターバックが負傷した件について、当該選手に対して、監督コーチから、その反則行為の指示があったことを明らかにし、その具体的対応についてご説明をするのが目的の一つです。 さきほど申し上げたように、それは関係者、特に被害選手とそのご家族に対する謝罪の第一歩であるという捉え方で、この会見をあえて開かせていただきます。 これから先の呼び名ですけれども、私の方から、「本人」ないし「当該選手」と呼ばせていただきます。それから、大変失礼かとは存じますが、関西学院大学アメリカンフットボール部のことを関学アメフト部、それから日本大学アメリカンフットボールチームのことを日大アメフト部と略称することはご容赦ください。 本件に至った経緯を、その下の経過表にしたがって説明をいたします。 5月6日以降の経過を日を追って書いてございますけれども、大きな動きがあったのが、5月6日の後、5月10日でございました。5月10日に関学大アメフト部から、日大アメフト部に対して申し入れ文書が出されました。これを受けて、本人とご両親は、監督を訪ねました。実は、この時まで監督、コーチ、チームメイトと会ったのは、本件の2日後、グラウンドに行って話をしたのが最初です。
この5月11日は、いわば監督と会う2回目でした。この時、本人とご両親は監督に対して、個人として直接謝罪をしたいと申し上げたのですが、監督からはそれは止められました。具体的な話は後で本人が申し上げます。この時、事実関係について監督からもコーチからも質問は一切ありませんでした。「なぜ、君はああいうことをやったのか」という理由の説明を求められたことは一切ありません。あえて言えば、今まで一度として、部の上の方から求められたことがありません。 5月12日、本人とコーチが関学に謝罪に参りましたけれども「申し入れ文書に対する回答がない限りは謝罪は受けられない」と言って断れています。 5月14日月曜日ですが、本人と父がOBから呼び出されて、日大のある校舎に参りました。この時、呼び出されてお話をしたのですが、その後、学生連盟の規律委員会から事情を聞きたいという申し出がありまして、そこに本人とお父さんが伺いました。ここで規律委員会には、これから本人が申し上げる事実の経過をかなり詳しくお話しています。事実経過についてお話をしたのは、この5月14日の19時以降が最初でございます。 5月15日になって、お父さんが私の所に相談にお見えになりました。私が関与したのはこの時が初めてです。お父さんがお見えになったのは、5月15日に、関学大の申し入れ書に対する日大の側の回答書が出た。これを受けて、お父さんとしては、個別にでも謝罪をしたいんだけれども、それが認められていない。それから事実について報道をみる限りは、監督・コーチからの指示があったということは否定されている。あまつさえ、本人が指示がなかったと否定しているというような報道さえありました。そういうのをご覧になって、このままでは事実が明らかにならない、本人が勝手に突っ込んでケガをさせたことになってしまうということと、謝罪そのものが認められないのは納得がいかないということで、この二つを主として早めに実現したいということで、私の所に相談にお見えになりました。
翌日、私は本人から薬師寺弁護士と二人で詳細な事実の聞き取りをやりました。この日、大学本部から呼び出しがあって、お父さんにはOBからの呼び出しもありましたけれども、これはいずれも断りました。大学なり部からの申し出を断ったのは、この日が初めてであり、今までにその他に断ったことはございません。 この断る作業は、私の方でやりました。そうしたところ、大学に連絡した私の所に、翌日に事情聴取に来てほしいという申し入れが大学の総務部からありました。翌日5月17日の午前中に、本人とお父さんと私とで伺って、事情聴取に応じました。これが大学側に事情聴取に応じて事実を説明した最初でございます。しかし、これは確認しましたが、「部としての聞き取りではない」ということを明確におっしゃっていました。大学と部は違う団体、組織であるということで、あくまで大学としてお聞きしたいということでした。 この聞き取りの際に、私とお父さんから、個人としてでも被害選手とそのご家族にぜひ謝罪をしたいと再度申し入れました。これは、止められても、こちらとしては、こちらの判断として行きますよということで申し上げてあります。 しかし、この5月17日の時点で、関学の方で記者会見が行われました。そこでやっぱり、あくまで監督・コーチへの謝罪を求めるという関学の意向が伝わってきました。それをお聞きしまして、なによりも監督・コーチよりも前に加害選手として、当該選手が謝罪をすべきではないかという判断をしまして、この日の夕方、関学大の窓口のあるディレクターに私の方で連絡を取って謝罪を受け入れていただきたい、あくまで大学とは別に個人として謝罪をしたいということを申し上げました。 その後、「明日にでも大丈夫ですよ」というご連絡をいただいて、翌日、本人とご両親が大阪に伺って、被害選手とそのご両親、それから後から入られたんですが、関学大チームのディレクターとお会いして、謝罪をさせていただきました。約1時間のお話だったと聞いています。
代理人宛に大学本部からこの日に、21日に本人から聞き取りをしたいという申し入れがありまして、お受けいたしました。5月20日、規律委員会から再度ヒアリングをしたいという申し入れがあって、私とお父さんとご本人が行って、詳しい説明をもう一度しました。そして昨日ですが、大学本部から事情聴取を受けています。この時も、あくまで部としての説明ではないと。部としての聞き取りではないということを確認いたしました。ただ、大学の聞き取りの結果は部には伝えますというふうにおっしゃっていたので、「どうぞ」と申し上げています。 この時、私の方から「部からの聞き取りがないのはおかしいのではないか」ということを申し上げました。それは5月15日付回答書、関学大に対する回答書と、報道機関に対する日大アメフト部からの文章に、いずれも指導者の指導と本人の理解との間で乖離があると書かれていながら、本人に一度も部としての確認はない。これはおかしいのではないか。 そして、報道機関宛の5月17日文書には、本人への聞き取りを含めて、24日までにそれを終えて回答を再度いたしますと書いてあるのに、21日の時点でまだ何もないと。これはおそらく、部としての聞き取りはやらないであろうという判断をいたしまして、あえてその日急きょ決めて、この会見を設けさせていただいた次第です。 以上が経過ですけれども、
―――― 2 加害選手の陳述書読み上げ ――――
:まず最初に、本件によりケガをさせてしまった関西学院大学のアメリカンフットボール部のクオーターバックの選手、およびそのご家族、関西学院大学アメリカンフットボールとその関係者の皆様に対し、大きな被害と多大なるご迷惑をおかけしたことを深く反省しております。本当に申し訳ございませんでした(深く頭を下げる)。 試合の日までに至った経緯について、試合の3日前の5月3日から話させていただきます。 今年度の試合は本件までに、4月22日、4月29日の2回行われています。そのいずれについても、私はスターティングメンバーで出場しました。5月3日の実戦形式の練習でプレーが悪かったということでコーチから練習を外されました。これまで同じことはありませんでしたが、この頃は監督・コーチから「やる気がたりない」「闘志がたりない」という指摘を受けるようになっていたので、このプレーをきっかけに外されたのだと思います。 そのあと、全体のハドルの中で監督から「宮川なんかはやる気があるのかないのかわからないので、そういうヤツは試合に出さない。辞めていい」。井上コーチからは「お前が変わらない限り、練習にも試合にも出さない」と言われました。 ■内田監督から「日本代表に行っちゃダメだ」と言われた 5月4日、練習前に監督から「日本代表に行っちゃダメだよ」と、当時選抜されていた今年6月に中国で開催される第3回アメリカンフットボール大学世界選手権大会の日本代表を辞退するように言われました。監督に理由を確認することはとてもできず、「わかりました」と答えました。この日は、今年度はじめて全体で行われたディフェンシンギーの日でした。未経験の1年生がいたので、副キャプテンがタックルをして、私が受ける形をメニューをやって見せるために、私がダミーを持ちました。するとコーチから「なぜ最初にダミーを持つんだ」と言われて、グラウンド10周を走らされました。 その日の実践練習は、練習前に井上コーチに確認したところ、「宮川は出さない」と言われて外されました。5月5日、この日も実践練習を外されていました。 続けて井上コーチから、「相手のクォーターバックとは知り合いなのか」「関学との定期戦がなくなってもいいだろう」「相手のクォーターバックがケガをして、秋の試合に出られなかったら、こっちの得だろう。これは本当にやらなくてはいけないぞ」と念をおされ、髪型を坊主にしてこいと指示されました。 ポジションの先輩から、井上コーチに宮川に「アラインはどこでもいいから、1プレー目からクォーターバックを潰せと言っておけ」と言われた旨を告げられました。相手を潰すくらいの強い気持ちでやってこいという意味ではなく、本当にやらなくてはいけないのだと思い、追い詰められて悩みました。 5月6日、いろいろ悩みましたが、これからの大学でのフットボールでここでやらなければ後がないと思って試合会場に向かいました。試合のメンバー表に、私の名前はありませんでした。
その後の試合前のポジション練習時に、井上コーチに確認したところ、「今行って来い」と言われたので、私は監督に対して直接「相手のクオーターバックを潰しにいくので使ってください」と伝えました。監督からは「やらなきゃ意味ないよ」と言われました。戻った私は井上コーチに監督と話をしたこと、監督から「やらなきゃ意味ないよ」と言われたことを伝え、さらに井上コーチに対して、「リードをしないでクオーターバックに突っ込みますよ」と確認しました。井上コーチからは「思いっきり行ってこい」と言われました。このことは同じポジションの人間は聞いていたと思います。 その後、試合前の整列の時に井上コーチが近づいてきて「『できませんでした』じゃすまされないぞ。わかってるな」と念を押されました。 3回目の反則は、相手に引っ張られて尻もちをついたあと、相手のオフェンスの方に行こうとした際に、正面から向かってきた相手選手を突いた行為に対して取られました。この反則は、「相手がつかんできてもおとなしすぎる」などとコーチから指摘されていましたし、「やる気がない」として外されていたので、向かってきた相手選手にやられっぱなしにできないと思って、意識的に行った行為でした。 退場になり、テントに戻った後、事の重大さに気づき、泣いていたところ、井上コーチから見られていました。試合後、スタメンと4年生が集められたハドルの時に、監督から「コイツのは自分がやらせた。コイツが成長してくれるんならそれでいい。相手のことを考える必要はない」という話がありました。
その後、着替えて全員が集まるハドルでも、監督から「周りに聞かれたら、俺がやらせたんだと言え」という話がありました。井上コーチから、私が退場になった後、DLの上級生リーダーが、私に相手クォーターバックにケガをさせる役割をさせたことをすまなく思って、自分にもやらせてほしいと申し出たという話を紹介して、その上級生は「自分にもやらせてくれ言ったぞ。お前にそれは言えるのか。お前のそういうところが足りないと言っているんだ」と言われ、退場後に泣いていたことについても「優しすぎるところがダメなんだ。相手に悪いと思ったんやろ」と責められました。 その後、学生のスタッフが来て、監督が待っているコーチ部屋に行くように言われました。当初コーチ部屋は監督一人でした。私と監督が話し始めると、遅れて井上コーチと鈴木コーチが来て、監督との話を聞いていました。私が監督に対し、「もうフットボールはできない」と言うと、監督は「お前の罰はあの時、退場になってお前の処罰は終わっているんだからいい。世間は監督を叩きたいだけでお前じゃない。気にするな」と言われました。その後、監督は練習に出ていったので、井上コーチと鈴木コーチの3人で話をしました。 当然、二人のコーチからは事実関係の確認はなく、「お前が辞める必要はないだろう。向こうとの試合がなくなろうと別にいいだろう」という話をして、退部を申し出た私を引き留めようとしました。しかし、私としてはこんなプレーをしてアメフトを続けることはとても考えられませんでした。 5月9日、森ヘッドコーチから三軒茶屋のキャンパスに呼び出されて「辞めるべきじゃない。フットボールで返していくしかない。監督が厳しく言ったことを、そのままお前に伝えたコーチに責任がある」と言われました。 ■[被害者への謝罪したいと伝えたら、内田監督が「今はやめてほしい」 5月11日、前日の謝罪文公表を受けて、こちらから井上コーチに連絡をして、本部にある監督の部屋で、監督と井上コーチ、私と両親で面会しました。父から、個人的にでも「相手方選手と家族に謝りに行きたい」と申し入れたところ、監督からは「今はやめてほしい」と言われました。 父から、監督・コーチから選手に対して対戦校のクオーターバックにケガを負わせろと指示を出し、選手はそれに従っただけである旨の公表を求め、そのメモを先方に渡しましたが、公表できないと断られました。面会の後、井上コーチから父に連絡があり、理由の説明もなく「関学アメフト部の監督に謝りに行く」と言われました。父がアポイントを取ってほしい旨を求め、アポイントを取ろうとしたようですが「先方から断れた」と連絡がありました。しかし、夜中に再度井上コーチから父に連絡があり、「謝りに行く。息子さんを行かせてください」と言われて、関西学院大学に行くことになりました。 5月12日、謝罪のために私と井上コーチと関西学院大学を訪れましたが、再度先方から面会を断られたため、関学アメフト部の監督にお会いすることはできませんでした。 5月14日、井上コーチから父に連絡があり「三軒茶屋のキャンパスに来てほしい」と呼び出され、父と二人で訪問しました。その日はその後、私と父が関東学生アメリカンフットボール連盟の技術委員会で聞き取り調査をうけました。 5月16日、私は日本大学本部の体育局にチームの幹部とともに呼ばれましたが、先方はどう出てくるかわからない不安が強く、体調もよくなかったため、私は行きませんでした。 5月18日に、私と父で関学アメフト部クォーターバックの選手およびご両親を訪問し、直接謝罪の意を伝えました。 最後に、本件はたとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身が「やらない」という判断ができずに、指示に従って反則行為をしてしまったことが原因であり、その結果、相手選手に卑劣な行為でケガを負わせてしまったことについて、退場になった後から今まで思い悩み、反省してきました。そして、真実を明らかにすることが償いの第一歩だとして、決意して、この陳述書を書きました。相手選手、そのご家族、関西学院大学アメリカンフットボール部はもちろん、私の行為によって大きなご迷惑をおかけした関係者のみなさまにあらためて深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。
※日大加害選手の“懺悔”会見全文(中)より続く ――ご自身にとって内田監督、コーチの存在とはどういうものでしょうか? 今回の一件を通して、その見え方に変化はあったでしょうか? 今、監督やコーチに伝えたいことはありますでしょうか? 宮川:先ほども話した通り、いくら監督、コーチからの指示があったとはいえ、僕がやってしまったことについては変わらないと思って、とても反省しています。なので、監督、コーチに対して、僕がどうこう言うことではないのかなと思っています。 ――ご自身の部内でのあり方についての監督の存在とはどういうものだったか、教えてください。 宮川:(15秒ほど考え込んでから)「日本代表に行くな」と言われたときもそうですし、「なぜですか」と意見を言えるような関係ではなかったと思います。 ――今、伝えたいことはありますか? 宮川:僕の方から伝えることはないです。 ――去年の甲子園ボウルではすばらしい活躍を見せてくれたあなたが、こういうことにならなければならなかった。どこで自分としては判断を誤ってしまったんだろうと思われますか? 宮川:この試合があった週、1週間を通してですけども、監督、コーチ陣からのプレッシャーがあったにしろ、そのプレーに及ぶ前に、自分で正常な判断をするべきだったと思っています。 ――関学のQBの選手は、謝罪は受け入れてくれたんですか? 宮川:僕の謝罪をうなずく形で聞いていただきました。 ――これまでチーム内でこういったケースはあったんでしょうか? 先輩なども、こういったことをさせられてきたんでしょうか 宮川:いえ、僕では把握してないです。 ――試合直後、涙を流されたということですが、つまりその直後からもう「大変なことをやってしまった」という思いがあったということでしょうか? 宮川:はい。その直後からありました。 ――明らかな反則行為なわけですけども、直後から悔悟の念がよぎるその行動を、なぜしてしまったのか? 監督の指示がご自身のスポーツマンシップを上回ってしまった、その理由は何でしょう? 宮川:監督、コーチからの指示に、自分で判断できなかったという、自分の弱さだと思っています。
宮川:(間髪入れずに)はい。 ――監督、コーチからの指示は、「つぶせ」という内容だったんでしょうか? それ一つでしょうか? 宮川:コーチから伝えられた言葉は、「つぶせ」という言葉だったと思うんですが、上級生の先輩を通じて「アラインのどこでもいいから、つぶしてこい」とは、「秋も関西学院との試合出てるので、そのラインのQBがけがをしていたら、こっちも得だろう」という言葉もあり、けがをさせるという意味で言っているんだと、僕は認識していました。 ――「QBがけがをすれば、秋の試合に出られなくなるので、こちらの得だろう」と。 宮川:はい。 ――その言葉を聞いて、ご自身は「つぶせ」の意味を、「けがをさせる」というふうにとらえたということでよろしいんでしょうか? 宮川:そうです。 ――そこは日大側がいう、いわゆる「指導の受け取った側の乖離」、これは一切ないというふうに、ご自身はお考えでしょうか? 宮川:はい。自分としてはそういう意味で言われてる以外にはとらえられなかったので、「やるしかない」と。 ――もし、これを拒否していたら、どうなっていたとお考えでしょうか? やってしまってもこのようにフットボールをできなくなった可能性も高いし、やらなかったらやらなかったで、やはりまたフットボールができなくなる現状が起きていたんでしょうか? いかがでしょうか? 宮川:この週、試合前、まず練習に入れてもらえなかったっていうのもありますし……どうなっていたかははっきりはわからないです。けども……今後ずっと練習に出られない、そういう状況にはなりたくなかった、という気持ちです。 ――ご自身にとって、アメリカンフットボールというのはどのような存在なんでしょうか? 宮川:私自身、高校の頃からアメリカンフットボールを始めたんですけども、コンタクトスポーツを初めてやるということもあって、とても楽しいスポーツだなと思い、熱中していました。ただ、大学に入って、厳しい環境といいますか、そういうもので徐々に気持ちが変わっていってしまったのもあります。 ――気持ちはどのように変わっていったんですか? 宮川:好きだったフットボールが、あまり好きではなくなってしまった、というのがあります。 ――それはどうしてでしょうか? 宮川:厳しい環境に身を置くことになってしまったので、何が原因かはわからないですけど、徐々に気持ちが好きではなくなってしまったのかな、と思っています。 ――今後、自分ではどのように過ごしていくことが望ましいと考えていらっしゃいますか? 宮川:もちろん、アメリカンフットボールを今後、僕が続けてという権利はないと思ってますし、この先アメリカンフットボールをやるつもりもありません。なので今のところ、何をしていくべきなのかもわからない状況です ――内田監督の会見はご覧になりましたか? 宮川:あまりちゃんとは見れてないです。 ――少しはご覧になりましたか? 宮川:はい。 ――どんな印象を受けられましたか? 宮川:それに関しては、僕がどうこう言うことではないと思っています。 ――日本代表の発言があったときに「行くな」と言われて、何も答えられなかった、「はい」としか言えなかった。日頃から監督に対しては、そういった指示に対しては、否定をできないという空気だったんでしょうか? 宮川:そうですね。基本的に監督と直接お話する機会はあまりないんですけど……意見を言えるような関係ではなかったですね。 ――「厳しい」という言葉が部内でありましたけども、厳しい中に「理不尽」ということも多々ありましたか? 宮川:理不尽といえば理不尽な部分もあったかもしれないですけど、練習のキツさもすべて含めて、去年の結果も出たと思ってるので、理不尽なこともありながらも練習していました。 ――ご自身にとって、監督、コーチ、信頼はありましたか? 宮川:(15秒ほど沈黙してから)井上コーチに関しては、高校2年生の時から監督をやっていただいていたので、その頃から信頼はしていたかもしれないです。 ――内田監督については? 宮川:内田監督については、そもそもお話する機会が本当にないので、信頼関係といえるものはわからないです。 ――監督やコーチから理不尽な指示があってこういう形になった後に、たとえば同僚とか先輩とか周りの人たちから「いや、お前は悪くないんじゃないか。監督、コーチの責任じゃないか」という声は挙がらなかったんでしょうか? 宮川:挙がっていたと思います。 ――それを聞いて、ご本人はどういうふうに感じていらっしゃいますか? 宮川:いや、まず、そもそも指示があったにしろ、やってしまったのは私なわけで……。人のせいにするわけではなく、やってしまった事実がある以上、私が反省すべき点だと思っています。 ――もうアメリカンフットボールやらないということでしたけども、今後の調査でいろいろ明らかになって、関学側とか被害者の方々も許して「もう一度アメリカンフットボールやってくれ」と言われたら、やった方がいいんじゃないんですか? 宮川:今はそのようなことは考えられないです。 ――将来的にはどうですか? もう一度、仲間と一緒にアメリカンフットボールやりたいという気持ちはないんですか? 宮川:今のところはないです。 ――当日まさに試合の時、整列の時にコーチから「できませんでした、じゃすまされないぞ。わかってるな」と、声をかけられたということですか? 宮川:はい。 ――これはコーチからの「念押し」ととらえてよろしいんでしょうか? 宮川:はい。そうだと思います。 ――そのコーチは、いつもそういうことを言ってくるような人物なんでしょうか? 宮川:うーん……このような状況がめったにあることではないので、それはわからないです。 ――ただ、この声を他にも聞いている選手はいた? 宮川:うーん……整列をしている時なので、隣の選手に聞こえていたかもしれないですけど、はっきり聞こえていたかどうかはわからないです。 ――口止めなどの行為を感じられたことは? 宮川:口止めというのはないです。 ――この会見自体は、たとえば日大側の本部、運動部、監督、コーチ、どこまで今知りえて、把握されているのでしょうか? 西畠弁護士:それは私の方から。 昨日、事情聴取を大学本部の方で受けた時に、「きわめて近い将来に、事実についてお話をする機会を設けさせていただくつもりでおります」ということは申し上げました。その時点ではまだ会場は決まってなかったですが、昨日の夜の時点で公表いたしましたので、それについては当然ご存じのはずだと考えております。 それから、大学側窓口になっていただいている事務方の方には、会見をひらくということは明確に伝わっています。 ――今後、自身が監督やコーチと会う機会は設けられているんでしょうか? その予定はありますか? 西畠弁護士:それは私の方からお答えした方がよろしいでしょうか。 実は昨日、大学総務部でお話しした後に、代理人の弁護士さんとおっしゃる方から接触がありました。それは先ほど申し上げた通りでございます。その時に「事情を聴きたい」というふうにおっしゃったら、「あくまで部から頼まれた代理人として聞きたい」ということでしたので、接触があったのはそれだけ。 ですから、監督とかコーチから「何かを聞きたい」「事実について聞きたい」あるいは「なぜそんなことをしたのかをきちんと聞きたい」という話し合い、今までただの一度もありません。 ――ご自身の退部届は出して、まだそれは受理されてない? どういう状況になっているんですか? 宮川:退部届というのがあるのかわからないんですけど、退部の意思はお伝えしました。 ――新監督も含めて、新たなチーム、メンバーに対して、何か一言あればお願いできますか。 宮川:それは僕の方から言うことではないと思っています。 ――まだお若くて、これから先の人生も長いと思うのですが、今回の件で一番ご自身として勉強になったことは? 宮川:少し考えれば、自分がやったことは間違ってるというのを前もって判断できたと思うので、そういうふうに自分の意識を強く持つことが、今後重要だと思いました。 ――先ほど「弱さ」とおっしゃいましたけども、あらためて今振り返って、あの時あなたに違反行為をしないという選択肢はありましたか? 宮川:あの時の自分は、そういうことは考えられなかったです。 ――それはどうしてでしょうか? 宮川:3日前……というかその1週間で追い詰められていたので、やらない選択肢はない状態になっていました。 ――ご自身で「指示があったとしても従わなければよかった。私の責任です」とはおっしゃいますが、ただ、追い詰められた状況で、あの指示が出された。非常に酷な状況だとは思います。そういった「指導」というもののあり方について、今後アメフトをやられる後輩たちもいます。そういった状況、環境、そして指導については、どのように考えますでしょうか? 宮川:指導については僕が言う立場ではないので、僕と同じようなことが起きないことを願っています。 ――ただ、今日会見に臨んでくださるような、そんな強い意志を持たれている方が断れない状況になっているということは、これはまた繰り返されてしまう可能性もあるという意味もあって。ここで伝えておかなければならないメッセージというのもお持ちかと思うのですが、そういった点いかがでしょうか。 宮川:自分の意思に反するようなことは、フットボールにかかわらず、すべてにおいて、するべきじゃないと思います。 ――指導する側に求めるものもあると思いますが、いかがでしょうか? 宮川:指導する側……先ほどから言ってる通り、僕がどうこう言うことではないと思っています。 ――試合当日5月6日、どういう形であれ、あなたはグラウンドに立ったわけですが、最初に反則をしたプレーで、審判の笛は聞こえていましたか? 審判の吹いた笛の音は、耳に入っていましたか? 宮川:投げ終わったということは、気づいていました。 ――プレーが終わったということは認識していた? 宮川:はい。 ――あの危険なプレー、1プレー目が終わった直後の気持ちを、振り返ってください。どんな気持ちだったでしょうか? 宮川:何かを考えられるような状況ではなかったです。 ――交代の後、テントの中で涙していたあの時、「優しすぎるからだめなんだ」と言われて、言われた言葉どのように受け止めましたか? 宮川:(約25秒間、考え込んだ末に)すみません、考えられないです。 ――ご本人がこうやってきちんと説明している中で、いまだに内田監督、それから日本大学がきちんと真実について説明していない。そういう態度について、どういうふうに感じていらっしゃいますか? 宮川:自分がやってしまったことなので、監督、コーチ陣をどうこう言うことじゃないですけど……。償いの一歩として、「真実を話さないといけないのではないかな」と思って、ここにいます。 ――その意味で言うと、内田監督や日本大学は、関学や被害者の選手に対して、誠意ある謝罪をしようという気持ちは感じられないですか? 宮川:僕の方から言うことではないと思います。 ――今回井上コーチからあった「1プレー目でQBをつぶせ」という指示なんですけど、日大アメフト部では通常そういう具体的な指示はあるものなんですか? それとも今回は特別具体的にあなたに指示があったのか、どちらでしょうか? 宮川:特別、ですね。 ――去年も甲子園ボウルでも活躍されてますけども、5月3日以降から突然プレッシャーが強くなったのか、それとも入学した時からそういうプレッシャーはあったのか、どちらですか? 宮川:突然ですね。 ――その理由についてはどう思われますか? 宮川:「やる気が感じられない」「闘志を感じられない」と監督、コーチから言われていたので、そういう理由だと思います。 ――本人が感じる「やる気がないように見える」要因はあったのか? 宮川:それはわからないです、自分では。 ――内田監督は、具体的な指示をすべてコーチを通じて選手にするものですか? 宮川:その場合が多いです。 ――今回のケースも、そもそもの指示は内田監督からの指示だと認識していいですか? 宮川:僕はそう認識していました。 ――今回監督が辞任しました。ご自身から見て、今後、日大アメフト部にとって、監督が辞任するということは、チームのためによくなっていくことととらえていますか? それとも残った方がよかったととらえていますか? 宮川:僕がここに今日来たのは謝罪をするためであって。真実を話すために来たので、今後のチームとか、そういうことは僕の口から言うことじゃないと思っています。 ――実際指示があったにもかかわらず、これだけの期間、「自分の指示でやった」とかばってくれなかった監督に対して、裏切られたような気持ちはないでしょうか? 宮川:最初から、両親と監督と面会した時に、「指示があったことは出してほしい」ということは伝えていたので、出してほしいという気持ちはありました。 ――昨日、被害者の父親が被害届を提出したという話がありました。選手個人に被害届が出されて、大阪府警が受理をしたことに関しては、どのようにお感じになりますか? 宮川:被害届を出されても仕方がないぐらい、向こうの選手のご家族からしたら、それは当然だと思っています。
「どうか皆様には、将来に向かって歩もうとしている本人の今後を、静かに見守って下さるよう、心からお願い申し上げます」 (本誌・緒方麦) デイリースポーツ/神戸新聞社 大学アメリカンフットボールで、関学大との定期戦で悪質な反則タックルを仕掛けた日大の当該選手・宮川泰介(20)が22日、都内の日本記者クラブで会見を開いたことを受け、日本大学広報部が「アメリカンフットボール部・宮川選手の会見について」と題したコメントを報道各社にファクスした。 全文は以下のとおり。
会見全体において、 また、宮川選手が会見で話されたとおり、本人と監督は話す機会がほとんどない状況でありました。宮川選手と監督・コーチとのコミュニケーションが不足してたことにつきましては、反省いたしております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.05.23 06:34:38
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