カテゴリ:🔴 D 【防衛と安全保障】 改憲・沖縄
復刻記事 自衛隊を廃止して、災害救助隊に 田島陽子 アホちゃう? 2010.08.09 カテゴリ:【ニュース】時事 政治 経済 社会 これもアクセスランキングの上位の方に出てきた過去ログ 首都圏では放映されないので、東京の人は知らないだろうけれど、知る人ぞ知る全国的な人気番組に大阪よみうりテレビが放映する「たかじんのそこまで言って委員会」がある 歌手・たかじんが司会をする、主に政治的テーマの討論番組である 同種の全国ネットの番組に「ビートたけしのTVタックル」があるが、そこまで軟派ではないが、『朝生テレビ』ほど硬派ではないというところか 出演者も、『ビートたけしのTVタックル』にかなりダブっている 「ビートたけし」では、政治テーマを、とことん話し合うことはない 少しヤバイ内容になれば、たけしが変におどけた茶化しを入れ、つまり成人向けビデオの「ぼかし」みたいな役目をして、過激にならないように、言い換えれば真実に目隠しをしてしまう なんのことはない、たけしはマスメディアの、体制側の、「安全弁」「火消し役」をつとめているのである これでイライラする人、不満を持つ人も多いだろう もう少しでスッキリするところなのに、そこで止められてしまうと(笑)、人は怒る(笑) 私もその一人で、もうこの茶番番組はほとんど見ない 「たけし」放映のテレビ局は、全国ネットのテレビ朝日だが、「たかじん」のテレビ局は、すでに書いた様に、大阪ローカルのよみうりテレビである よく、芸人が大阪ローカルの番組で、全国ネットでは言えない本音の吐露や暴露をすることがある 「これ本当に東京では流れないんでしょうね?」などと言いながら、テレビ有名人の 裏などを語る 日本の全国ネットテレビというものは、そういう意味でメディアの役割の一部『批判』が欠如したしろものなのだ たけしも若い頃は反骨などを気取っていた時代もあったのに、今ではただのテレビ芸人である まあ、テレビでは無難に芸人を務めて、映画で「世界のたけし」という名声をキープしていれば満足なのだろう 「たかじん」では、ほとんどタブー無しの議論が交わされる さすがに『ピー』音で消される部分も多い 議論と言っても、適当にお笑いの要素を挟みながら、レギュラーの性格からして、かなり保守のラインでの議論である ただ一人、左翼の砦を守るのがウルトラ・フェミニストの田島陽子である (フェミニストではなく、フェミニスタとでも称すべきなのかな?) 今回のゲストに、保守側の評論家の西尾幹二氏と皇室評論家の所功京都産業大学教授 テーマは(忘れたが)確か 憲法・靖国神社・保守など ――― 忙しいので続きは後ほど(本日中希望)(笑) 追記 ――― 続きを書こうとしたら、グーグルニュースの、こんな記事が目に入った >石田純一と東尾理子の結婚披露宴が昨日8日、行われた。 ケッ! こんな、なにも価値のない二人の結婚披露宴だって! 石田純一って、何年も役者していないでしょ? ただただ、ニタニタして(笑)、スキャンダルもあるようでないようで いったいどこにその存在価値があるのか、まったくわからない人間 東尾理子も、一応「プロ」ゴルファーという事になっているけれど 横峯さくら・諸見里しのぶ・有村理恵などのトップゴルファーとは、全然別物 なにしろ、予選を突破出来ないものだから、スポンサー推薦で出場するしか出場記機会が無いという、誠に情けない「プロ」 と言うか、アマに毛が生えた程度のゴルファー いずれにしても、毛が生えると言うことは、恥ずかしいことである あ そ~ゆ~ことじゃなかった まあ、まったく実績が無い二人を、なぜ、こんなにもてはやす??? それもこれも、いわゆる「芸能レポーター」という「虫けら」の様な存在の人間が作り出す虚構の世界 私の生活にとってみれば、全くの雑音 雑音は邪魔だ オーディファンならこの言葉を知っていると思うが、S/N比が大きい生活をしたい S=信号 N=ノイズ SN比が高ければ伝送における雑音の影響が小さく、SN比が小さければ影響が大きい。 SN比が大きいことをSN比がよい、小さいことを悪いとも言う。 ようやくここまで書いたのだが、残りはすぐまた後で書きます 雑音に邪魔される生活はいやだ ーー続くーー 帰宅したので、続きを この番組をネタにしようとは思っていなかったので、いいかげんに見ていたので、余りよく覚えていなくて、細部は違っているかも知れないのだが 現行憲法を改正すべきか否かという、この番組でのいつものお題が出されたのだが、田島陽子以外は全員「改正すべし」 もちろん、改正点の中心は九条である ここにいたって、田島陽子が狂乱の様子(笑) 「九条は決して撤廃してはならない」と叫び続ける 「では、自衛隊はどうするのだ?」と言う挑発に対して 「自衛隊は廃止して、災害救助隊に編成換えすべし 自衛隊の救助活動は国際的に評価されている」とわめき続ける 勝谷が「北朝鮮に対して、災害救助隊のみでどう対処するのだ」などと言うが、興奮した田島の耳には届かない(笑) この「自衛隊は廃止して、災害救助隊に・・・」と言う言葉は、このブログに参戦された信州の廃人・・いや、俳人であるmsk222さんが残されたセリフと同じである Msk222さんは、この楽天で私のもっとも古いリンクさんであり、非常に人間的に素晴らしい方ではあったのだが、防衛安保問題で私とそりが合わず、今やお互い、リンクを切って冷戦状態なのである(笑) 災害救助隊発言でもわかる様に、やや観念的な平和主義者で、結果として左翼的な主張をされる まあ、今の日本人のほとんどは、もはや、終戦後に日本人が唱えた、極度にナイーブな 「自衛隊廃止、戦力放棄、絶対平和」 などが、画餅であることぐらいはわかってきているのだが、時々、こ~ゆ~絶滅危惧種の方が生き残っているのである 西表島のイリオモテヤマネコと、こういう美しき理想主義者達のどちらが果たして、より長く生き残るか? 私の目の黒いうちに、決着を見たいと願っている しかし、市井の一般人が(msk222さんは、信州では政治的に影響力を持つ有名人らしいが)こ~ゆ~理想を語ることは許されるが、田島陽子の様な、大学の教授?であり、すぐに止めたとはいえ一応、社会党の国会議員であった人間が、公の場で、こういうことを、いまだにわめくのは、よろしくないと思う ちょうど、民主党の「財源無きバラマキ・太っ腹・無責任マニフェスト」のようなものである どうしてそういいことになるのか?というロジックのリンクが中絶している(笑)ものを、わめき散らしても、軽蔑の対象となるだけである だいたい、絶対平和なんて、人間がまだサルの時代から今日に至るまで、数百万年の間、一度も実現したことのないものである 人間以外の動物の間であれば、種族保存のために、ムダな、少なくとも同族間の殺し合いはしないという自然の摂理が、どうやら働いている様である しかるに、人類の間では、特に、ネアンデルタール人を含め二十数種あったと言われる人類の中でも、唯一生き残って繁栄を極めている現生人類の間では、平和的共存というものが、いまだに可能となっていない これは、現生人類が唯一人類として生き残ったことと無関係ではない 生存競争を生きるために、現生人類は他の動物、他の人類が持ち得なかった極めて発達した前頭葉を持っている この前頭葉こそが、創造性の源であり、攻撃の源であり、競争相手を駆逐してやまない思考エンジンだったのである この状態を進化的に脱して、攻撃性をコントロールしながら、創造性を維持する前頭葉を持つには、人類は、少なくともさらに数十万年の年月を待たなければならない様なのである いや、現実的には、突然変異・進化のシステムからして、数十万年では足りず、数百万年の年月が必要では無かろうか? 人類が、猿から分岐していままで、おおよそ七百万年の時間が必要だったというから、この数字は、当たらずとも遠からずでは無いだろうか この数百万年は待てない、それまでに人類自身は絶滅してしまうと言うのであれば、PCでは無いが、強制終了という手段もあるだろう 例えば、医学的にロボトミーの手術の様な方法で、前頭葉の攻撃性を緩和させる または、薬品によって、同様の効果を期待する または遺伝子操作によって、同様の効果を期待する または、ロボットを進化させて、平和的ロボットに人類をコントロールさせる それらの方法しかないのでは無かろうか? しかし、残念ながら、これらの方法は、人間性を無視したものであり、決して人類にとって幸福なものでは無かろうと思う しかし、背に腹は替えられない 多少の不満は持ちつつも、とりあえずは、種族保存の大目的の前には、忍耐の日々を送らざるを得ない ―――― ◇ ――― 田島陽子から、とんでもない方向に話がそれた 「たかじん」に話を戻すが、もうひとつのテーマは「保守」であった 改革・革新がうたわれる昨今、保守への回帰も、選択肢としての一つの流れである 保守の論客、西尾幹二氏によれば、いまだに日本に真の保守は存在しないという いわく、明治維新も、国家神道と軍部による戦時体制も、戦後の保守政治も、真の保守ではないという あるべきは、天皇を中心とした、まとまりのある日本というものが、真の保守であるという 皇室評論家である所功氏も、この説に異論はあるはずがない この議論は、それから身のある発展はしなかったが、私としては、この天皇中心主義が真の保守であるとは、アナクロとしか思えない 古代の、天皇がまだ王(おおきみ)として実権を持っていた時代は別として、鎌倉幕府の成立以来、江戸幕府の末期まで、日本は武士が実権を握っていた 天皇は、政治的な存在では無くなり、部下の公家共々、貧窮の生活を送る時代が続いた 庶民にとって、「将軍様」は実感のある権威だっただろうが、天皇と言う存在は御簾の彼方のものであったに過ぎないと思う もちろん、倒幕・尊皇・攘夷の嵐に揺れた幕末を経緯して、明治維新となり、将軍亡き後のご神体(笑)のようなものとして、キリスト教の法王の様なものとして、天皇が担ぎ出され、前代未聞の現人神となる 思えば、人間は、この様な人為的な宣布・教育によって、いとも簡単に神格化を受け入れるものだと思う 終戦後の昭和天皇の「人間宣言」(だけではないが)と民主化によって、天皇一家も身近な存在になり、もはや尊敬の対象ではない これは言い過ぎかも知れないが、言わば落ちた偶像である 女性週刊誌による皇族バッシングなどがその典型である いくら恣意的に天皇中心という動きがあっても、もはや天皇が日本国民の心の核であることなど、二度とあるものでは無い 私は、個人的に、今の天皇・皇后を尊敬している また、皇太子・雅子様のお二人にも好感を持っている ただし、その他の皇族に関しては、それほど好感を持っているとは言い難い 皇室の存続には、反対でも賛成でもない いずれにしても、真の保守というものを、天皇賛美にすり替えるなど、時代錯誤そのものである おおよそ、国民の実感とかけ離れるとしか思えない 私の意見では、保守とは、人間性というものを理解した、経験のある、熟成した、現実的な思想一般である 人間性を無視した、理論におぼれた思考などというものでは無い ―――― ◇ ―――― 言い訳じみるが、一気に殴り書きしたもので、内容は大したものを書けなかった <(_ _)>
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