カテゴリ:🔴 J 【日本】【考古・人類学】
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①江戸時代の「美点」とされているものは関ケ原以前からあったものばかり 日本の民度が高いなどと言うことは、魏志倭人伝にすでに出ている。また、仮名をほとんどの人が読み書きするというのはザビエルの報告にあるのだから、江戸時代の功績ではない。むしろ、安土桃山時代の日本は世界の先進国だったが、江戸時代後半になると世界から落伍した三流国になっていた。
江戸時代の日本として語られるのは、だいたい、天保期以降、とくに幕末の日本である。それに対して、当時のヨーロッパとして語られるのは19世紀半ばの同時代で鉄道まで走っているヨーロッパでなく、関ケ原のころのヨーロッパで、それを比べて日本は劣ってないという議論が多い。現在のアフリカと松平定信のころの日本とをくらべるようなものだ。
戦後史観では明治日本をけないしたいから、その成果を強調するために江戸時代の日本も悪くなかったと言いたい。
武士道とか陽明学とかは江戸時代に現代人が理解しているような形では普及しておらず、明治になって創り上げられたものだが、あたかもそういうものが、江戸時代から合ったような錯覚がある。
明治日本を悪く言いたい韓国人たちが明確な朝貢使節であった朝鮮通信使を対等の外交だったとか捏造している
明治になって多くの武士階級は没落したが、彼らは江戸時代はよかったといいたい。 私の先祖は半分以上が武士だった ⑦薩長土肥は少数派だ 積極的に倒幕派だった薩長土肥などは少数派で、佐幕や日和見で没落したほうが多数派だから声が大きい。
かつての江戸が首都になった結果、首都に住む人たちは、江戸幕府びいきになりやすい。
東京での栄達ができなかった武士の多くは教師などになって藩政時代への憬れを語った。また、公立高校などで本当は関係ないのに藩校の後裔だと称するところが多い。
孔子が周の初期を自分の理想をかたるために理想郷だったとしたのと同じで、自分のもつ理想社会を歴史に求めることが多い。 江戸時代の「不都合すぎる真実」 日本を三流にした徳川の過ち (PHP文庫) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.08.06 13:36:02
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