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フランス紙の記事 日光で消えたフランス人女性を知りませんか 失踪から約1カ月、ベロンさんの素顔と足取り レジス・アルノー 2018/09/04 08:00 ※ レジス・アルノー
ジャーナリスト。フランスの日刊紙「ル・フィガロ」、週刊経済誌「シャランジュ」の東京特派員、日仏語ビジネス誌「フランス・ジャポン・エコ―」の編集長を務めるほか、演劇や映画のプロデュースを手がける。小説『Tokyo c’est fini』(1996年)の著者。日本滞在歴は20年におよぶ。 私が黄色でマーカーを引いた部分 © 東洋経済オンライン 日光を訪れていたフランス人女性、ティフェヌ・ベロンさんが行方不明になってから約1カ月。いまだに所在についての手掛かりはない(写真:Kazuhiro Nogi/AFP) ティフェヌ・ベロンさんと会ったことのある日本人はほとんどいないだろう。 フランスのポワチエ在住のベロンさんは36歳のフランスの小学校教員補助で、障害のある子どもの世話をしている。特に1人の自閉症の少年のことを気にかけていて、彼女の助けを借りて少年の症状は劇的に改善した。ベロンさんはまた、著名なオーストラリア画家と同じ名前の「ココシュカ」というネコを飼っている。 着いた翌日の朝にこつぜんと消えた 彼女にはもう1つ情熱を傾けているものがある。日本だ。多くのフランス人同様、彼女は日本という国に恋をしている。彼女は町の静けさや、人々の間にある尊敬の念、そして洗練された文化に。2013年に初めて来日した際は東京しか訪れなかったが、そこで彼女の人生は変わった。 そして、2018年7月27日。ベロンさんは2度目の日本への旅に出た。8月18日まで約3週間訪れるため、旅支度は慎重にした。今度は日本の田舎を知りたいと思っていた。彼女は大きな紙に、滞在中に行きたいと思っている場所をリストアップした。礼儀正しい日本人のように、滞在予定の各ホテルへのお土産も用意していた。 最初の目的地は日光東照宮だった。日本に到着した7月27日に両親にメッセージを送った。この国ではいつでもそうであるように、すべては完璧だ、と。 翌日、ベロンさんは姿を消した。その日の朝以来、彼女がどこにいるのかまったく手掛かりがなく、家族やジャーナリスト、外交官、そして日本の警察などの捜査隊は絶望に陥っている。フランスでは、エマニュエル・マクロン大統領官邸が捜索を行っている。「彼女がどこにいるのかまったくわからない。何の手掛かりもない」と、あるフランスの外交官は嘆く。 ベロンさんは失踪前夜、同じホテルに宿泊したフランス人観光客と会った。翌日の朝食で、彼女は2組の別のフランス人とドイツ人のカップルに会って、訪問予定の場所について話した。彼女の予定に特別なものは何もなかった――中禅寺湖、東照宮など日光で旅行者がみな訪れるルートをまわる計画だった。 ホテルのマネジャーによると、彼女は29日午前10時にホテルを出発した。パスポートとスーツケースを部屋に置いたままだった。携帯電話を持って出掛けたが、位置情報は午前中ホテル周辺で止まっている。 フランスでは、彼女が行方不明になったと聞いた家族は最悪の事態を想定した。彼女の兄弟のダミアンさんとスタニスラスさん、そして妹のシビルさんは大急ぎで荷物をまとめて、8月4日、彼らにとってはまったく未知の国である日本へやって来た。8月18日には母親のアンヌ・デゼーさんも来日した。 【9月4日8時35分追記】来日した家族について正確に表記をしました。 「秘密を持つような生活はできない」 彼らには心配する特別な理由があった。ベロンさんはてんかんの持病があるのだ。学生時代に発症してからというもの、規則正しく薬を飲まなければならない状態にあった。そのため、家族とも頻繁に連絡をとっていたのだ。 「ティフェヌはおそらく1年に1度けいれんの発作を起こす。それよりも短い発作を頻繁に起こすようにもなっている。ただ彼女は危機的な状況のとき、反射的に身を守り、自分の体を傷つけないようにしている」と、ダミアンさんは話す。 「彼女は病気のせいで、秘密を持つような生活はできない」と、ベロンさんの母、アンヌ・デゼーさんは語る。「彼女が思いつきで失踪したなんて想像できない」とシビルさんも話す。 警察はベロンさんの失踪の話を聞いてすぐに動き始めた。日光の森林はあまりに広大なので、どこを捜索するか選択しなければならなかった。そこで、まずベロンさんが訪れる予定だった場所の周辺地域を2キロにわたり、くまなく捜索した。ベロンさんにはトレッキングの趣味はない。それに、自然ではなく、どちらかといえば文化に興味があって日本を訪れたため、道を外れて歩くことはないだろうと考えられる。 さらに警察は、日光の社寺周辺の41台のカメラのデータで何千時間もの記録を確認。近隣住民への聞き取り調査も数回行った。宅配業者や郵便局員など、その地域で頻繁に業務を行う会社の従業員にも取り調べを行った。住民の間でも相互に確認を取り合った。しかし、何の手掛かりも得られなかった。 警察とベロンさんの家族が協力し、目撃者を求めてパンフレットを配布したところ、電話で80件の情報が寄せられた。すべて調べたが、ここでも手掛かりは得られなかった。8月10日、失踪当日に欧米人を目撃した人の証言内容に基づいて、警察官と救助隊60人が捜索犬を伴い、ドローンやヘリコプターの援助を受けて鳴虫山の一部を捜索したが、この捜索活動でも何も収穫はなかった。 また、警察は日光山中を流れる大谷(だいや)川に点在するダムを管理する東京電力にも聴取を実施した。7月28日には、日光市内で大雨が降っており、気象庁は24時間の降水量2445ミリを記録している(1974年以降2番目の降水量)。この雨によって、地面は滑りやすくなっていたうえに、川の流れも激しくなっていた。 行方不明当日は相当疲れていた可能性も ベロンさんは2日前に来日したばかりで時差ボケも残っていた。そのうえ、危険と言われるほどの暑さや湿気によって、行方不明になった当日は相当の疲れがあったと見られている。体に厳しい環境下で、持病のてんかんを発症したおそれも考えられる。誤って大谷川に落ちたとすれば、そのままダムを通り抜けて下流へと流されていき、およそ400キロ下流の海にまで到達した可能性も十分ありうる。 しかし、警察がこれをふまえて下流域をヘリコプターで捜索しても、手掛かりは見つからなかった。ベロンさんの家族も、限られた条件の中で独自に捜索を行っており、8月4日に来日したベロンさんの兄弟と妹は、日光の山中や大谷川沿いを、手掛かりを求めてくまなく捜索している。 【9月4日8時35分追記】記事初出時に「8月20日に来日した」と記述していましたが上記に訂正しました。 シビルさんは「救急車の音を聞くたび、ティフェヌなんじゃないのかと考えてしまう」と話す。捜索をしていたある日、ダミアンさんが川底にベロンさんの携帯電話とおぼしき白い物体を発見した。警察に伝えたうえですぐさま木の枝を使ってカギ棒を作り、その先端に防水カメラと取り付けてその物体を撮影したが、2日後に警察が水から引き上げたところ、残念ながら小さな飲み物を入れるボトルだった。 地元の人々はベロン一家に起こった悲劇に心配りを持って対応した。封筒にお金を入れ、匿名で彼らが滞在していたホテルに預けた人たちもいた。そのうちの1人は、ベロン一家を自宅に招待して滞在させた。日光の行方不明者の情報提供を呼びかけるパンフレットが置かれた場所の下に、人々は折り鶴を置いていった。 中には、時間があるときに、ベロンさんか、少なくとも彼女に関係する何かを探そうと、その地域を歩く人もいた。「お店にパンフレットを配るたびに店主たちは、自分のビジネスに与えるイメージなど考えずに、すぐさまパンフレットを店先に貼ってくれた」と、スタニスラスさんは目を細めて言う。SNSを通じて、家族への励ましのメッセージも続々ときている。しかし、中には悪意のあるメッセージや貴重な時間を無駄にすることになった虚偽の情報も含まれていたという。 これまで日光ではこうした行方不明事件は発生したことがなかったため、警察は早い段階で何かを見つけられるだろうと考えていた。しかし、捜査が長引くにつれ、緊張感といらだちが増している。 そのうえ、国際的な事件であることから、栃木県警は異例な注目を集めることとなっている。ベロンさんの家族は、本能的に警察や日本のマスコミを信頼するだろう一般的な日本人家族に比べて、要求も多い。ベロンさんにはてんかんの持病があるので、忍耐強く待っていることはできないのだ。 だから、日本の警察の「お役所仕事」にも憤慨した。 一生懸命働いているが、無用な仕事でエネルギーを無駄使いしているのではないか、と。 日本の警察は複雑な犯罪を扱った経験が少ない これに対して、警察はその「余計な圧力」に怒りを隠していない。 この事件はベロンさんの母親、アンヌさんが必死の思いでマクロン大統領に、娘の捜査に「すべての手段が使われていない」と主張する公開書簡を書いたときから、外交問題に発展している。 地元警察は、自分たちの取り組みを外国人がきちんと理解していない、と感じている。「この事件は彼らにとって非常に重要であり、近しい人たちには捜査について説明している」と関係者は話す。現場捜査に同行したフランス人の立会人は、このような事件ではフランスの警察も日本の警察と同じように捜査するだろうと結論付けている。 「日本ではほぼ犯罪が起こらないため、日本の警察には複雑な犯罪を扱った経験がほとんどないし、それを把握する能力にも欠けている。彼らは非常に厳格で、官僚的で、何かを変えたり、改善したりすることはない。それをするだけの独立性を与えられていないからだ」と、2007年に日本で殺害されたイギリス人女性、ルーシー・ブラックマンさんの事件に関する著書『People Who Eat Darkness』を書いたベテランジャーナリストのリチャード・ロイド・ペリー氏は日本の警察についてこう書いている。 スタニスラスさん、ダミアンさん、シビルさん、そしてアンヌさんは8月19日にフランスへ戻った。日本の警察は引き続き捜査している。ベロンさんが暮らす町、ポワチエでは休暇が終わり、9月3日には子どもたちが学校へ戻ってきた。ベロンさんが世話をしていた、障害のある子どもたちも。しかし、ベロンさんが子どもたちを迎えることはできなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.07 13:44:28
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