★★ 過去ログ ベトナムの想い出 #2 赴任の夜歩いた戒厳令のサイゴンの街 カテゴリ:【ベトナム】ベトナム戦争時の思い出 ベトナム戦争シリーズ 過去ログ 第二弾 ベトナム・カテゴリーの記事は ―――― ◇ ―――― 一昨日の日記で、南ヴィエトナムの首府・サイゴン (現在のホーチミン市)に赴任したことを書いた。 当時のヴィエトナムはヴィエトナム戦争の戦火が燃えさかっている時だった。 ヴィエトナム戦争とは サイゴン(現在のホーチミン)を中心とする南ヴィエトナムと ハノイを首府とする共産主義国家の北ヴィエトナムが いわば北朝鮮と韓国の様な形で戦争をしていたのだ こういう当時はみなが知っていた事も ヴィエトナム戦争はこの2国だけの戦争だけではない。 南ヴィエトナムの中では北ヴィエトナムと連携したゲリラ組織 いわゆるベトコン (正式には,南ベトナム解放戦線) (米兵達は略して「VC」と呼んでいた) が暗躍していたし 南ヴィエトナムを助けるために 数十万人の米兵が派遣されて北ヴィエトナムと戦っていた。 ベトコンの南への浸透ぶりはすごくて特に夜間には活躍した。 南ヴィエトナムは 「昼間は南ヴィエトナム政府が、夜はベトコンが支配している」 と言われていた。 ーーーー 赴任した日、夜、食事を追えてから,一人で、宿舎から出て散歩をしてみた。 ヴィエトナムはフランスの植民地だったから サイゴンに限らずヴィエトナムの大都市は フランス式の並木道のある瀟洒な街並みである。 ただし 街灯があまり無いので,大部分は漆黒の闇。 遠くで米軍が夜間を利用して接近してこようとするベトコンを 威嚇するために絶えず打ち続けている大砲の ワーニングファイアーの響きが 「ドーン ドーン」と定期的に腹に響いている。 そうした砲撃の瞬間には、夜の底がピンク色に輝く。 しばらく街路を歩いていると 完全武装の南ベトナム軍の兵隊が目についた。 近づいてみるとヘルメットに防弾チョッキ、迷彩服、軍靴・・・、 それに弾帯を身体に巻いている。 手にはM-16ライフルを握っていて、私が近づくと警戒の身振りで ライフルを握り直している。 そこにはコンクリート製の円筒形の交番のような施設が作られていて 縦断を防ぐ北ベトナムおよび 砂袋で周りを囲まれている。 それほどの警戒ぶりなのだ。 それもそのはず、サイゴンはその前の年 旧暦の正月(ヴィエトナム語では「テット」と呼ばれる)には 北ベトナムとベトコンの部隊が サイゴンの中国人街および米国大使館などに攻め込んで 激しい市街戦を行った。 これは俗にテト攻勢とよばれている。 ベトコンと言っても同じヴィエトナム人だから一見してわかるわけではない。 今のイラクよりわからない。 今のイラクならシーア派の街とスンニ派の街が分かれているが ベトコンは普段の生活は一般人の生活をしているのだから 見分けが付かない。 それが夜間に暗躍して時限爆弾・プラスティック爆弾をしかけたりする。 だから、このような厳しい警戒になっている。 この完全武装のチェック・ポイントの前を恐る恐る通っていると、 自分でも気が付かないうちに、急に激しい恐怖感に襲われ、 膝がガクガクして,宙を歩くような感覚になった。 これは、私が予想もしなかった感覚・心理状態だった あらためてここは戦場だという事を強く実感した。 おまけに 宿舎の前は交差点になっていて そこにチェッキング・ポイントがある。 警官や兵隊が常駐していて「怪しい」というものが通りかかると検問する。 通りかかるといってもこの交差点を通る人間はほとんどがホンダに乗っている。 ホンダというのは、ヴィエトナムにおけるミニバイクの代名詞だ。 だから、ヤマハのホンダ、スズキのホンダ、カワサキのホンダもあるわけだ(笑) 検問されてもたまたま止まらないホンダがあると まず「ピーッ!」と警笛が鋭く吹かれる。 それでも止まらないと (意図的であろうと、自分だと言うことに気がつかなかったとしても) 問答無用で「バン バン バン」と拳銃またはM-16ライフルの警告射撃である はじめは警告であり威嚇射撃だが、その内に本当に狙って打つ。 宿舎の自室にいても、この威嚇射撃が一時間に一度ぐらいは行われる。 私の部屋の鎧戸越しに、中数メートル先で、そういう光景と射撃音が繰り広げられるのだ。 これもそのうちに慣れてしまうのだから、人間というものは恐ろしい。 この検問態勢も、夜の12時まで、それから、翌朝の6時まで それまでは、夜間外出完全禁止のカーフュ、厳令の世界である 動くものは、影でも撃たれる 赴任してしばらくした頃 ある朝、日本人医師を訪ねてサイゴン病院に行ったら ちょうと、戒厳令で機銃掃射を受けた男が担ぎ込まれていて 医師の話では、腹部に数十発の銃弾が撃ち込まれていたという 問答無用の世界である ~~~~~~~~~ この宿舎の前には仏教寺院があった 小乗仏教特有の柿色の衣を羽織った僧侶が出入りしていた。 当時は仏教徒は、南ベトナム政府と敵対的な関係にあった。 そのせいもあってだろうか? ある夜、完全武装の部隊がこの寺院を囲んで この寺院のパゴダというのか・ 仏塔に向かって、何時間も機銃掃射を行った。 夜間になると数発に一発入っているえい光弾が 赤いアイスキャンデーのように輝きながら寺院の中にすこまれている。 このえい光弾は夜間の射撃の弾道を確認するもので それを修正させる機能をもっている。 私が、宿舎の前に出てこの戦闘をのんきに見物していると それが気にくわなかったのか? 向き直った兵隊が、こちらに向かって撃ってきて その銃弾が私の足元に着弾してパッとコンクリートから砂煙が出て その銃弾は、宿舎の厚い鉄の扉に当たって、カ・カ~~ンという鋭い音を立てた。 その後は、あわてで扉の中に隠れて その後は、鉄の扉の上布にある覗き穴から観戦?した。 この戦闘で死者が出たのかどうかは 新聞を読んでも何も載っていなくて 私たちにはわからないままだった。
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