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【東京五輪】
バッハ会長来日はIOCにとって屈辱的だった!? 日本との力関係に変化 小林信也:作家・スポーツライター 2020.11.27 4:27 (alex99の意見) 私はこの「小林信也氏」を誠実で信頼できるスポーツライターとして 高く評価している なぜバッハ会長は来日したのか 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が11月15日に来日し、菅義偉首相、森喜朗会長、小池百合子東京都知事らと会談した。ヨーロッパで新型コロナウイルス感染がまた拡大する中、スイスで1週間の自主隔離をしてまでバッハ会長が来日した目的は何だったのか?様々な憶測が飛び交った。 開催に反対の主張を続ける一部のメディアやジャーナリストは盛んに「すでに東京五輪の中止は決まっている。今回の来日でいよいよ中止を発表する」との推論を展開していた。実際にそのような発表はなかったが、すると今度は「東京五輪の利権を維持するため、中止は決めたが発表は延期した」といった発信も行われている。 いま日本社会は、かみ合わない議論や指摘が繰り返し行われる不毛な状況に陥っている。コロナ禍の影響で延期された東京五輪の話題も代表例で、それぞれが自分の主張を繰り返すばかりで、実態の把握や分析が恐ろしく放棄されている。だから、本当のところ何が起こっているのか、どんな意思や思惑が絡み合いながら事態が動いているのか、国民にはほとんど伝えられていない。 私はスポーツライターの立場から、できるだけ冷静に、いま東京五輪をめぐって何が起きているのか、バッハ会長の来日の目的に関連してお伝えしたい。 政治とオリンピックを一緒くたにして論じるのは行き過ぎ 「コロナウイルスの感染が世界的に終息するどころか再燃する中で、本当に東京オリンピックは実施できるのか?」という疑問は日本人なら誰しも持って当たり前だ。そうした不安に乗じて、政府や政権の失政を非難したい人たちが東京五輪をやり玉に挙げる風潮が著しい。私も行き過ぎた商業主義や、これに便乗して東京五輪を過度に政治利用してきた安倍政権への憤りは感じている。だが、だからといって、「オリンピックなんかやめちまえ」と叫ぶのも行き過ぎだと感じる。なぜなら、本来、オリンピックはスポーツの祭典であって、政治の道具ではない。「この際、スポーツをスポーツ人の元に返せ!」と叫ぶなら真っ当だが、スポーツ人(選手や指導者、ファン)も巻き添えにして同罪扱いというのか、政治もろともスポーツにも「死ね」と言うのは暴論ではないかと、スポーツに人生をかけて生きてきた者として、またいまも東京五輪に情熱をかけて取り組む選手たちを取材するスポーツライターとして思う。 私は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(以下、組織委)の中核にかかわる当事者や親しい政治ジャーナリストらに取材を試みた。その証言を総合すると、「政府と組織委は、実現に向けた動きに100%注力している。中止に向けた動きは一切していない」というのが実情だ。東京都の中には、「万一の中止に備えて、対応策も並行して準備している動きがある」というが、それはあくまで、想定されるリスクへの対応であって、中止が決まったから対応を始めたのではないという。 また、「菅首相の就任後、コロナ対策会議の議論や活動が驚くほど活発になっている。予算の確保も含めて、菅首相の相当強い意向が働いているに違いない。これはビックリするよ」と教えてくれた関係者もいる。コロナ対策会議とは、新型コロナウイルス対策を検討する国と東京都、組織委の調整会議のこと。以前から定期的に行われていたが、菅首相就任後、本気度が驚くほど変わったというのだ。この動きを見ても、東京五輪が中止ではなく、実施に向けて熱を帯びている実態がうかがえる。 そんな中、バッハ会長はなぜ来日したのか? 日本での行動や発言を素直に受け止め分析すれば、おのずといま起きている流れが浮かび上がって見える。 IOCと日本は「共犯関係」から「対決姿勢」に変化している 一部メディアやジャーナリストたち、あるいはそうした反対論に知らずしらず影響を受けている一般の人たちは、いまだに「IOCと日本政府、組織委は強力な結びつきを持つ連合軍で、いわば共犯関係にある」とみなしているように思う。そして残念ながら、オリンピックに関してIOCと日本は「主従関係」にあり、IOCの意向なしには何事も決められないとの認識も強い。 確かに、マラソンを突如、札幌に移転する時の力関係を見れば、IOCは絶対的で、都民の民意などは入り込む余地がなかった。わずかに抵抗を見せたのは小池都知事だけで、組織委の森会長もIOCの意向に沿って動くばかりだった。 だが、その蜜月に変化が起こり、共犯どころか対決的な構造が見えてきたことを見逃してはならない。マラソンの札幌移転の際とは明らかに違う。IOCと日本側の力関係に変化が起こっているのだ。その現実を冷静に見つめ、柔軟に理解する心構えが大切だ。 オリンピックが中止になった場合、最もダメージを受けるのは誰か? 政府を批判する(あるいは自国の損失を懸念する)メディアやジャーナリストたちは「投下した予算、つまりは大事な血税が無駄になる」として、日本の損失を真っ先に強調する。だが、万が一オリンピックが中止になった場合、最も大きな損失を被るのは誰か? IOCは、一定の条件を満たせば損害保険を受け取れるから、それほどの実害がないとの観測もある。だが、IOCが経済的な打撃を最小限に抑えたとしても、オリンピックはIOCの存在意義そのものなのだ。オリンピックがなければ、IOCなど存在し得ない。つまり、開催都市の東京や開催国・日本以上に、本質的に「喪失」の危機さえあり得るのはIOCではないだろうか。日本や東京は、来年の東京五輪がなくなっても、国や町が消えるわけではない。しかし、オリンピックが存在理由であるIOCにとって、オリンピックの中止はその存在が喪失する可能性さえ帯びる、深刻な事態なのだ。 もちろん、一度中止になったくらいで、オリンピックが終わるわけではないと思う人も多いだろう。だが、世界的なコロナ禍の猛威は、ただでさえ巨大化やテロなどのリスクで開催希望都市が激減するオリンピックの趨勢に深刻な打撃を与えかねない。行き過ぎた商業主義や肥大化をどう方向転換するかの妙案も見えない中、IOCの絶対的な地位や威厳が揺るぎ始めている。 どうやらそれを真っ先に理解したのは、東京五輪の組織委員会だった。冷静に分析すると、ある時から、IOCと組織委の力関係に変化が起こっている。組織委は「オリンピック実施」を人質に取るかのように、「簡素化」に名を借りた強い要求や変革をIOCに求めるようになった。 IOC理事や委員の宿泊と移動については、長い間「貴族的すぎる」と批判が渦巻いていた。超高級なホテルの部屋、専用のハイヤー。この予算を大幅に減らす提案はしたくてもできなかった。しても即座にIOCから却下され、心証を著しく悪くしてひとつの得もなかった。ところが今回、「コロナ対策による簡素化」のために組織委はIOC理事や委員が泊まるホテルのグレードを下げること、移動の際の専用車の削減を申し入れ、IOCはこれを受け入れた。私たち一般人には当たり前のことのように感じるが、貴族的な待遇を強要し甘受していたというIOC理事や委員にとっては屈辱的な仕打ちなのだ。 オリンピックを変える千載一遇のチャンス このような実態を把握すれば、コロナ禍によって変化を余儀なくされ、大幅な簡素化を前提に動き始めた2021年の東京五輪は、やむなく一層の肥大化、商業化の道を暴走するしかなかったオリンピックの弊害や悪しき政治利用に歯止めをかけ、新たな道を模索する千載一遇のチャンスに遭遇しているとの見方もできる。 バッハ会長は来日中、間もなく新型コロナウイルスのワクチン開発が実現し提供される見通しだとのニュースを踏まえて、「ワクチンが入手可能になるのであれば、IOCがコストを見る」と自ら費用負担を約束した。これなどは、IOCが存在感をアピールし、主体性を奪還する宣言のようにも聞こえる。 一方で、開会式の簡素化をめぐり、「バッハ会長と森会長が真っ向から対立した」とも伝えられた。実際には、バッハ会長の意向を受けて森会長と会談したIOCのジョン・コーツ副会長が開会式の入場行進に関して、「伝統は変えたくない。全選手に行進機会を与えたい」と主張した。対して森会長は「入場行進における参加者は従来より最大75%減らす」と主張し、平行線に終わった。 このニュースは「特筆すべき変化」を表している。コロナ禍以前に、森会長がIOCに強く反発したことなどほとんどなかった。簡素化にしても、7月の段階では、森会長が記者団に対して「開会式の短縮は放映権の問題でIOCに断られた」と語っている。そのため、「簡素化は難しい」との弱音が聞かれた。ところが、それから4カ月後に、森会長は簡素化を堂々と主張し、IOCと渡り合っているのだ。 この変化を私たちは見逃してはいけない。バッハ会長が来日したのは、IOCと政府・組織委の連合軍の絆を確認するためでなく、揺らぎかけた「IOC帝国」の権威維持のための示威行動だったと理解することもひとつ大切な現状認識ではないだろうか。 もちろん、東京五輪の実現に向けては、徹底したコロナ対策は必須だ。いま公表されている対策レベルで十分とは私も思わない。だからこそ、IOCと政府や組織委をただ批判するのでなく、政府と組織委に徹底した対策の具体化を求める国民的議論に移っていくべきだ。 (作家・スポーツライター 小林信也) ―― 私の意見 ――スポーツジャーナリストである小林氏が東京五輪開催に 積極的であることには 開催反対の私ではるものの、理解はできる 貴族的で傲慢で貪欲なIOCが、徐々に力を失っている good news である(笑) 私は、腐敗堕落した商業主義五輪そのものも今、限界だと思っている お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.02 00:15:32
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