カテゴリ:T【思考・知性】【心理学】
100分de名著 道元“正法眼蔵”
100分de名著 道元“正法眼蔵” 第1回「“身心脱落”とは何か」 2016年11月07日 22時25分00秒月曜日 https://www.youtube.com/watch?v=oVgImvy-qGI 100分de名著 道元“正法眼蔵” 第2回「迷いと悟りは一体である」 2016年11月14日 https://www.youtube.com/watch?v=k7Q-NZVl7ro&t=106s 100分de名著 道元“正法眼蔵” 第3回 全宇宙が仏性である #Eテレ正法眼蔵” 第3回 https://www.youtube.com/watch?v=aWHE3x1cj80 100分de名著 道元“正法眼蔵” 第4回「全ての行為が修行である」(最終回) https://www.videomarket.jp/nod/title/230302/BWM
道元は、仏教者の中での三大哲学者の一人だそうである 私は正直なところ、第一回を見終わったところだが 私が無宗教・無神論者であるからなのだろうが 道元のような、半ば聖者クラスの人の説く事であっても 私は説得されない、と言うか(笑) なんだかよくわからない そもそも、道元も釈尊の教えを絶対真理とする立場から出発している そこが、おかしいのである 釈尊の人格は他のどの宗教開祖よりも立派だとは思うのだが いや、その東洋的な穏やかさが私にとって好ましいのかもしれないが その「悟り」なるものが、結局、人生は輪廻であるという事なら それだけかい?という事で物足りないのである 輪廻は、分子生物学的に言えば分子のサイクルだと思うが それは科学的な真理でもあるが それでも、ストンと落ちるほどの納得では無い 「その先は無いのか?」と、えげつなく聞いてみたくなる(笑) まあ、釈尊は、まだ良心的だ 一神教は、押しつけがましく、入信しなければ最悪、殺される 世界宗教・江東宗教と言えど、本質はカルトである 私は宗教の強制する盲従を拒否する 私は自分の頭で考えたい それでこそ、人間として生きる価値と言うものだ 宗教を忌諱すれば、さしあたり、科学を頼りにするしかないが まあ、こちらの方が心地よい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.05.27 16:51:25
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