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公正に平等に機能する明確な法的規範という防御装置のありがたさ
以下は、私が今日、あるブログに投稿したもの タイトルとしては 「公正に平等に機能する明確な法的規範という防御装置のありがたさ」 とでもするか? ―――― 私の投稿 ―――― 蒸し返しになってしまい、また経済の話題でもなく恐縮ですが プロ野球の中田選手の暴力事件についてもう一度 ブログ主さんは、「北米の寛容」に比較し 「日本人は不寛容でレッテル張り」とおっしゃっていたが 法治国家での法的処置と一般社会での人間関係を混同されている 中田選手の暴力は本来、傷害罪で逮捕されたはずの「犯罪」 失神したという被害選手からすれば 寛容などという言葉は聞きたくないでしょう 法律上の犯罪と言う絶対的な問題と 一般社会内でのレッテル貼りと言う属人的な評価は まったく次元が異なる問題です 法治国家である限り、北米でも日本でも 法的贖罪以前に有名人の特権で恣意的に不問に付される事は 本来、あってはならないはずで この正反対にあるものは いわゆる西部劇の世界のリンチのようなものでしょうか? われわれにとって 明確な法的規範という防御装置が 公正に平等に機能しない国など 恐ろしくて住めたものではありません まあ、実際には、そういう恐ろしい国が世界にはあるようで 私はこの点がなによりも重要だと思うわけです もちろん、法的処置以降であれば、おっしゃる寛容による再起は望ましい それでよろしいかと思います 話は変わりますが 米国では例のジョージ・フロイドの銅像が建っているそうですが 一部では聖人扱いとか(笑) 私の米国体験からすれば、またフロイド氏の経歴からすれば これは、寛容というより 「アメリカ大丈夫か?」という話だと思います お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.17 23:08:14
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