ブログの再評価についての私見
このところ、最近、私は一貫して「ブログ終焉論」を書いてきた しかしながら、朝令暮改的ではあるが、改めて ブログは有用であり、必要なものである、と主張しようと思う 現代社会において、オピニオン形成は、既成のオールド・メディアに独占されてきた そこに、米国発のブログなるものが登場 既存のオールド・メディアに対する個人発信の異論をネットに配信可能となった これは、PCの発達とインターネットという情報インフラがあってはじめて 可能となった人類史上画期的なものであった それまで細々と存在していたマイコン時代・黎明期のパソコン通信は、この際、無視する このブログが約20年ほど前からおよそ数年間、全盛となる 虫も杓子もブログを書く、そういう時代があった もちろん、その質も玉石混交ではあったが そのうちにブログは衰退し始め、ツィッターを始めと売る短文SNSの全盛となり今に至る このブログ凋落の原因は色々考えられるだろう 私がアットランダムに上げるとしたら ・ 日本人の国語力衰退により、ひとびとは、起承転結のある長文系のブログを書く能力を失った ・ もともとブログを書く能力のある人間はごく一部であり、淘汰された 昔、私のブログに投稿してくれたブログ仲間も、ほぼ全員、消えた ・ ブログ本来の政治的社会的分野における個人主張という分野以外に様々な趣味ブログという内向きの異種が登場、方向性が分散、変わってしまった 読書ブログ 家事ブログ 音楽ブログ 映画ブログ etc ・ 社会の変化に対して反応し対応する能力のブログ主はほとんど存在せず その結果、ほぼすべてのブログは、古色蒼然とした初期スタイルのままで魅力が無いこと ・ 本来長文系のブログは、電報サイズの短文SNSの話題性や機動性に負けること まあ、これ以外にもあるだろうが ただし、では短文系SNSが世論形成の主役足りうるか?と言えば、そうでもないと思う ツィッターなどではその短さから、ワン・イシューしか論じられない 深さも意見の根拠の説明もできない ツィッターでは、認識の記録・確認ができない 集団知の形成ができない ただの情動的な不規則発言、的なものにとどまる やはり、世論形成には、ブログの長文形式が必要なのである したがって、ブログの価値の再認識が必要のだが とは言うものの、やはり、ブログの再興が可能だとは思えない というのも 現在のブロッガーには、視野の狭い虫の視点しか無い 俯瞰的な鳥瞰的な大局的な視点・グローバルな知見や視点がが不足している 子の発信足るブログならではの異論的な視点が無い 今までの自分のブログを見直そうという姿勢のブロッガーは見当たらない ブログ論さえ考えない、書かない 化石のような人々である(笑) それに加えて、もうひとつある 現在の日本のブログは、匿名制である 本名署名のものではない だからこそ、赤裸々な本心やタブーなしの発信が可能となる ・・・はずである それこそ、オールド・メディアが書かないことであり それでこそ、ブログである、はずである しかし、現実には、あたかもブログが本名で書かれたものであるが如く おたがい、過度な忖度でのやり取りがなされる 本音も「骨抜き」の本音である こんなブログなど存在意義もないし機能もしない やはり、日本人にブログは無理なのかもしれない
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