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ソ連を脱したバルト諸国の発展を見よ 10/26(水) 18:08配信 ニューズウィーク日本版 <初めて訪れたバルト諸国には旧ソ連領の面影はなく、自由と民主主義を「勝ち取った」誇りと30年間の急速な繁栄が見て取れる。 ソ連崩壊をいつまでも嘆いているロシアが余計に哀れに思える> バルト諸国はヨーロッパの中では比較的訪れる人も少ない地域で、人口の多い国々でもない。 イングランド(人口5500万)よりはるかに広大な3カ国のエリアに暮らしているのは、ほんの600万人ほど。 西ヨーロッパの人々はしばしば、どの国がどれか混同してしまう (正解は、北から南へ順に 〇 エストニア 〇 ラトビア 〇 リトアニア 僕たちのほとんどは、バルト諸国がロシアの飛び地カリーニングラードと本国ロシアの間に位置する「回廊」として存在していることを把握していない。あの侵略国家にサンドウィッチされた場所にいることを考えると、僕はゾッとした。 僕にとって今回の旅行は、初のバルト諸国訪問というだけではない。かつてのソ連領を訪ねること自体が初めてのことだ。 面白いのは、バルト諸国に旧ソ連の名残がほとんど見当たらないこと。 もちろん、レーニン像などどこにもない。 かつてのソ連時代には発展からかなり取り残されていた国々だったという気配すら、ほとんど見て取ることはできない。 今のバルト諸国は自由で、民主的で、栄えていて、先見の明のある国々だ。 彼らと比較すると、ソ連崩壊を嘆くロシアの自己憐憫が、余計に哀れに思える。 バルト諸国が、豊富な自然資源もないのに、この30年で成し遂げてきたことを見ればよく分かる。 ゴルバチョフ元大統領の死は、ロシアではほとんど惜しまれることがなかった。もしロシアが1991年以降のチャンスをつかんでいたとしたら、ロシア国民は確実に彼を「ソビエトの圧政を終結させた人物」として称賛してきたことだろう。だがそれどころか、彼らは現在、共産主義末期よりもなお悪いとも言えるような政府を抱え、帝国を消滅させたとしてゴルバチョフを非難している。 <独立、自由を「勝ち取った」軌跡> バルト諸国に滞在していると、彼らが占領されていた国であるということ(ソ連にも、ナチスドイツにも)、彼らが比較的最近になって独立を達成したこと、そして彼らが自由を「勝ち取った」こと、その自由を手放したくないこと、などに絶えず気付かされる。 あちこちの博物館や記念碑には、その国が第1次大戦後にいかにして成立し、その後スターリンの赤軍に占領され、最終的にソ連崩壊でいかにして再建されたか、が克明に記録されている。たとえば、(リトアニア第2の都市)カウナスで僕は、1940年までリトアニア大統領官邸だった建物の前に広がる、いい感じの公園に出くわした。その時代の写真ポスターが何十枚も飾られていて、ソ連侵攻前の20年間、リトアニアが広く認められた独立国家であることを描写するものが多かった。またリトアニアは、外国からの度重なる占領でひどい扱いを受け、破壊されていたリトアニア大公宮殿を、多額の資金を費やして復元した。 <彼らの加盟はNATOにとっても有意義> バルト諸国のどの国に行っても、ソ連支配に何十年も抵抗し続けた反共ゲリラ「フォレスト・ブラザーズ(森の兄弟)」と呼ばれるグループの話を耳にすることだろう。それに、KGBの非道な行いや集団国外追放、ロシア民族を大量に送り込むことによってバルト諸国のアイデンティティーへの攻撃が行われたことについても何度も聞くことになるだろう。 1990年代初頭には、数多くの圧力を受けてヨーロッパの共産主義が崩壊していった。それは明らかな経済的失策だった。プロパガンダと現実の間の不快な乖離、ポーランドの労組「連帯」による民主化運動とローマ法王(教皇)ヨハネ・パウロ2世によるその支持、冷戦の戦士としてのレーガン米大統領とサッチャー英首相による2大協力体制、東ドイツ人にオーストリアへの国境を開放したハンガリーと、東ドイツ人の大量亡命......。 バルト諸国の国民も重要な役割を果たした。一方ではエストニア人のパンクロックの若者たちが、他方ではフォークミュージックのフェスティバルが、独立国家実現への切望を訴え、権威主義への抵抗を呼び掛けた。ラトビアでは、1991年に誕生した独立政府の建物をロシア軍から守るために建造されたコンクリートのバリケードの一部が今も残っている。リガの都市のあちこちに設置された、いわば「逆ベルリンの壁」であり、市民を閉じ込めるためではなく市民を守るために使われたのだ。 <強化された西側同盟> こうした歴史物語には、多少の自己欺瞞があるかもしれない。バルト諸国の人々が共産党に参加し、ソ連時代はソ連政府とソ連の安全保障機構に仕えたのは確かだが、それでも支配力はモスクワにあったから、究極的には「ソ連による支配」と表現するのがフェアだろう。 西側諸国の感覚としては、バルト諸国をロシアから「防衛」してあげるために、われわれが2000年代に親切にもバルト諸国をNATOに「承認」してやった、という考え方が一般的だ。ロシアの衛星国から脱してその後に繁栄を謳歌する国をロシア政権が毛嫌いするのは(ウクライナの例を見ても)明らかだから、そうした西側諸国の言い分にも真実はある。 でも、今回の訪問で僕の見方は少し変わった。 独立を守る必要性をほぼ理屈抜きに感じ、ロシア政府の脅威を明確に見据えている国々を仲間に迎えることで、西側同盟は明らかに強化される。 たとえばイギリスのように、もっと幸運な歴史をたどってきた国に暮らす国民は、自分たちの自由を彼らほどに強く愛することは決してできないのだ。
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最終更新日
2022.10.28 16:03:45
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