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極左 大江健三郎逝く
極左作家大江健三郎が逝った 下記は極左新聞社である朝日新聞社の追悼記事である 私がこの記事を post entry する理由は このおぞましく愚かともいえる極左を賞賛する極左たちが ゾロソロと名前を連ねているので 改めておのずと一種の極左リストになると思ってのことである 極左たちの名前は、アカにちなんで(笑)REDのマーカーを引いた ただし、やってみると、あまり濃いREDだと肝心の名前が視認しにくなるので、ピンク色とした(笑) GHQが故障していたピンカード、みたいなものである(笑) また関連する左翼用語やその独特な思考もピンクとした 私は彼の初期の小説を愛読した時期があった ただし、極左を愚かでおぞましい売国思想と信じている私は 極左思想家としての大江は大嫌いである ―――― 記事 ―――― 大江健三郎さんを悼む 蓮實重彦さん「ノーベル賞とったからでない」 3/13(月) 17:43配信 朝日新聞社 今月3日、88歳で亡くなった作家の大江健三郎さんは、戦後文学を牽引(けんいん)しただけでなく、一貫して反核・反戦のメッセージを発信し続けた。功績をたたえ、悼む言葉が各界から寄せられた。 文芸評論家の蓮實(はすみ)重彦さんは「大江さんはノーベル文学賞を取ったから偉いのではありません。ノーベル賞とは関係なく、元々偉い作家なのです」と悼んだ。 ■平野啓一郎さん「小説を書くのが嫌になるぐらい」 作家の平野啓一郎さんは「本当に大きな影響を受けた作家で、言葉が見つからない。大江さんがいらっしゃること自体が、日本の文壇に大きな緊張感を与えていた。その時代にデビューできたことは自分にとって大きなことだった。とくに『万延元年のフットボール』『セヴンティーン』などは、小説を書くのが嫌になるぐらい圧倒的。小説ってこういう人が書くんだろうなと思い知らされるような作品だった」と話した。 ■山田洋次さん「羅針盤を失ったよう」 映画監督の山田洋次さんは松竹を通じてコメントを発表した。以下の通り。 ◇ 物事を考える上で、正しい指針を与えてくれる人がいなくなってしまった不安と悲しみに包まれています。 加藤周一さんと大江健三郎さんの存在が長い間日本人にとってどれほど大切だったかを思いつつ、今大江さんを失うことが、現在のような混沌(こんとん)としたこの国の、さらに世界の状況にとって大きな損失だということを考えます。 心ある日本人にとって、羅針盤を失ったような気持ちではないでしょうか。 つまり、寅さんシリーズの底辺にあるのは極左思想、と言う事か(笑) ■小森陽一さん「ノーベル文学賞を受賞後、何度も駒場で」 「九条の会」事務局長の小森陽一・東京大学名誉教授が追悼文を寄せた。 ◇ ノーベル文学賞作家で、「九条の会」呼びかけ人の大江健三郎さんが御逝去された。 大江さんとは、加藤周一さんや井上ひさしさんとの御縁で、「九条の会」を発足させるにあたって、当初から御相談にのっていただいていた。私が最初に就職したのが成城学園だったので、同窓生である大岡昇平さんの御紹介で、「御近所づき合い」をされている大江さんとも親しくさせていただくことが出来た。 東京大学教養学部に、私が転職した二年後に、大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞された後、何度も駒場で学生相手の講演をしていただいた。そうした御縁が重なり、井上ひさしさんと司会をつとめていた「座談会昭和文学史」では、御自身のことを思い切り語っていただいた。そして「九条の会」発足において、中心的な役割を担っていただくことになった。全国の講演も快く引き受けて下さった。 あまりにも大きな喪失である。しかし、時々の大江さんの言葉を想起しながら、しっかりと「九条の会」運動を前に進めていく決意である。 ■落合恵子さん「背中を押してもらった宝物の言葉」 作家の落合恵子さんの話 あまりに大き過ぎる存在でした。東日本大震災の後、「さようなら原発1000万人アクション」のデモでたびたび一緒になり、隣で歩く時もドキドキしました。でも「子どもの本は今、何がおもしろいですか」などと気さくに話しかけて下さった。スピーチをする時、それが5分であっても、しっかりと原稿を用意されていました。原発はだめなんだという思いを届けようと懸命に話して下さった。心から感謝しています。その思いを私たちはしっかり握りしめていかなくては、と胸に刻みました。 以前、イサク・ディネセン作品の原書をいただき、「小説を書きなさいよ」と言って背中を押していただいたこと。(主宰する子どもの本専門店)クレヨンハウスでの講演を快く引き受けて下さったこと。宝物です。 ■原広司さん「よく電話がかかってきて、ダンテやスピノザの話を」 大江さんの小説に登場する建築家のモデルになるなど親交の深かった原広司さんの話 あらゆる分野が細分化した現代において、僕らの世代は、世界を考えるためには同時代性を探ることが必要だと考えてきたが、大江さんはその中心にいたと思う。 「個人的な体験」以後、光さんと生きることを主題に、四国・大瀬の谷を舞台として演劇を繰り返し上演するように、人間の生死の問題を形而上(けいじじょう)学的に考え続けた。こういう実験的な態度を貫いた人は大江さんしかいない。 神なき時代に絶望することなく、人間の存在、世界モデルを捜し求め、世界的に不動の位置を占めている。文学の世界のできごとだったが、建築的に解釈することもできた。 とにかく人を笑わせようとする楽しい人柄で、以前はよく電話がかかってきて、ダンテやスピノザなど、そのとき関心を持っていることについて話してくれた。覚悟はしていましたが、もう少し生きてくれると思っていました……。 文学の世界での尊敬にとどまらず、大きな文化の歴史に大江さんを位置づけることがこれからの若い人たちの課題だと思う。
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