さっき、こんな題名の記事を書いたのだが 『また「ブログについて」なのだが それに、繰り返しになるのだが』 初めは、例によって、ブログの惨状を愚痴っていたのだが 最後の方になって、ふと気が付いて 「いや、私は結構、面白い人生経験を書いてきた」と言う事を書いて 結構、自慢めいた印象を残す(笑)事を書いた まあ、みな本当のことなんで、つまり事実なんだが 自慢ととられたかもしれない まあ、日本人は、謙虚で、韓国人の様に盛大に自慢をしない こんな自慢めいたことを書いた私でも このブログ以外で、私の波乱に満ちた半生(笑)を 他人にしゃべったことなどない このブログでしか、そういう事は書かないし、話さない 家内にだって、ほとんど話していないし 先日、私の妹が私の東ドイツでの話を読んでびっくりしていた程度 私のみならず、日本人って、なべて、そんなものかな? しかし、そういう日本人の美徳?は、グローバルな世界では不利になる グローバルな世界では、私はこうこう、こういう人間です そういう形の積極的な自己アピールが普通 また、それでこそ、人々は圧特定の人物を認識・評価するわけで 欧米をはじめグローバルな世界では、自己あぺあーるをして 車高的に話しかけないと その人間の存在を、意識・認識してもらえない 欧米でのパーティーでの日本人が 通常、壁の花(笑)になってしまうのも、そういう事が原因であることが多い それに 日本人と話していても、その話の内容が面白いと言う事は稀だ あまりカラフルな興味深い、ユーモアに富んだ話を日本人から聞くことができることは、ほとんどない(笑) だから、日本人と外国人とのパーティーの場では、日本人は、存在を消してしまう(笑) 昔、このブログで書いたことでもあるが 商社マンの私は、メーカーのエンジニアを連れて海外出張をすることが多かった 出張の目的である技術的な打ち合わせにおいては、律儀で勤勉な日本人エンジニアは、 充分に用意もしてきている事でもあり、きっちりと十分に任務を果たす ただ、そのあとに催される歓迎パーティーなどでは、あれほど技術打ち合わせでは雄弁であった彼らが 突然、無口になる(笑) 技術者があまり社交的でないこともあるが、それだけではない 型にはまった生活をしていて、型にはまった考え方をしている日本人は、社交の場での PARTY TALK と言うものができない 欧州では、貴族が築き上げた文化がある 貴族と言う階級は、言い換えれば、有閑階級である 額に汗して働くのは庶民・農民・それに農奴(笑)であって 有閑な時間と財産がたっぷりある貴族階級は、欧州文化を作り上げた その文化が、欧州の文化の基礎になっている その文化はもちろん、学問・芸術・スポーツなど多岐にわたる また貴族たちは毎晩のようにダンスパーティーを開いて酒を飲みながら歓談 私の先妻は貴族階級の出身だが 彼女の祖母など、若いころは、毎晩、ダンスパーティーだったという それに、朝には、ベッドで、欧州各国から郵便で配達される六か国語の新聞を読むのが楽しみだったという なにを言いたかったのか?忘れてしまったが(笑) 私の先祖はほとんど士族なのだが 祖の士族は欧州の貴族と同様支配者階級であったものの 欧州貴族の様な富貴・文化を満喫していたとは思えない それに、日本文化には、どこかに奢侈を良しとはしない、貧乏くさい(笑)潜在意識がある 日本の歴史上、斜視を極めた生活をした人物と言えば織田信長と豊臣秀吉のみだろう 徳川家康になると、もう、長期政権を意識して(笑)奢侈を戒める質素意識が出てくる 西洋の富貴は、宮殿のいたるところ、天井に至るまで黄金が光り輝く それが権力者の威光でもある 翻って日本では、千利休と言うひねくれものが考え出したわびさび それに豪華賢覧・斜視を極めた聚楽第や大阪城を建てた秀吉が 人がしゃがんでようやく入れる「躙り口」から入る、昔の朝鮮の貧農の家を模した、四畳半または六畳 そんな限界空間で、これまた朝鮮の農夫の貧しい茶碗で、山海珍味ならぬ、ただの茶をするる そういう富貴とは正反対の価値観・体験をして、悦に入っていたのである 権勢並ぶもの無き天下人が、朝鮮の貧農のあばら家と言う極小スペースで茶をすする この DOWN SCALE に、スト石ズムに、秀吉は体がしびれるほどの快感を感じたのではないだろうか? または、天下の権勢を手中にした秀吉が 極小の空間に身を置き、極貧ボトムな状況にヴァーチャルに身を置く これは一種の amplifier システムでは無かったのだろうか? つまり、茶室における秀吉は、自分の権勢や財産施設を このような仮想の極小空間・仮想極貧状況から仰ぎ見て それらを何十倍にも大きく見ようとしたのではないだろうか? 山の頂からはその山の大きさがわからない ふもとから山頂を仰ぎ見て初めてその威容を感じ津ことができる そんなものではないだろうか? また、話が飛んでしまったな~(笑) 話を戻すと 日本人は「」社交的な教養を身に着けていない 受け身で文化を感じているだけで それを多彩に魅力的に発信・OUT PUT することを考えていない だから、酒を飲んでも、文化的で教養のある話題に出会うことが少ない 欧州人はパーティーにおいて、自分の教養文化を競う 日本では、その対極である 自分が、いかに平凡な無害な人間であるかを証明したがる 出る杭は打たれる、と言うが、その出る杭にならないでおこうと必死である その挙句に、カラオケで、義理人情の演歌を歌って完結(笑) 欧米の本はハードカバーが基本である 豪華な革装丁の本を書棚にぎっしり並べる 日本では、文庫本が基本である(涙) 欧米のパーティでは、誰もが持ちネタのジョークを語る 日本では・・・ダジャレや、吉本芸人の真似の下卑た冗談がメイン もう支離滅裂になって来たので きょうは これくらいに しといたるわ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[🔴 B 【ブログ】【 You Tube 】] カテゴリの最新記事
|
|