カテゴリ:🔴 ME 【私自身のこと】【談話室】
ある商社マンの人生 繊維屋まだ名は無い さん >う〜む、日本でのalex99様の華麗なるOFF DUTY歴を 拝読して「うらやましいなぁ〜」と思うことしきりでしたが そらそうなるハズだわ、と思いました 緻密さを求められる業務内容だから プレッシャーが半端ないとおもわれます その点、私らはwwなんといいますか、 商店の大番頭さんとか、学校の教頭先生のような人が 多かったなぁ。 したがって社の人間と飲んでもいつも新橋ww 自然とそうなっちゃうんですよ 全工程が50年前60年前から ルーティン化されていて工夫の余地が全く無い あとはいかに正確に繰り返すか、ですから そして取引先より派手な飲み方をするなよ と言われたものです ーーーーー なるほど~ そう言われると ここに 私がのほほんと なにげなく(笑) 書いた事を いろいろ思い出してみると まるで自分が 落語に出てくる 吉原通いの放蕩息子 ・・・だったみたいな気になって そうかもしれません (一気に 反省モード) 私の父親は やはり イトヘンの人間で 堅物と言うか 小心者だったんですが 真面目ともいう 私は と言うと 妹から 私の母が私のことを 「alexは野人だから」 と言っていたと言う事を 最近聞いて しかし 私自身は 私のことを 勝手に 繊細でデリケートな 内向的な人間 と思い込んでいたもので ショックを受けたんですが (コレコレ) よくよく反省してみると ・・・・ 繊維屋さんはじめ 万天下の皆さんに 申し訳ない様な そんな気まで してきて(笑) 実際、考えてみれば 丁寧に、私のブログを読んでいる人ほど こんな事をした人間がいるのか!(笑) などと、思われるかもしれません 私自身さえ 今更ですが 考えてみると びっくりです (コレコレ) 考えてみれば 私も新橋にしておけばよかった 広場の蒸気機関車を撫でていればよかった (コレコレ) そう言えば 新橋から少し内幸町寄りに 中川と言う いつもホロ酔いのお爺さんがいた おおきな居酒屋があった 閉店になったようですね 繊維屋さんは行きました? それにしても 申し訳ありません なんで、私が 謝らなければいけないのか?(笑) よくわからないまま でも、気持ちは ともかく私 つい最近まで いや 今まで そう言う自覚が無かったんです 申し訳ありません (また謝る)(笑) ただ よくよく 思い出してみると 商社マンのノリを越えた (どんなノリだ?) そう言う遊び というか 「ヨアソビ」というか 欲求発散の仕方をしてきた それに私には 「派手な遊びをするな!」 と忠告してくれる 先輩も客先も無く (幸い) (コレコレ) 私 昼間は普通の商社マン 夜は その自覚の無いまま 別の世界で暮らしていた これは 今考えてみると 不思議な事に 社内のだれも 知らなかった 私が特に 隠していたわけでも無いんだけれど 人にわざわざ報告する話でも無く これは 今になってみれば 不思議だ 私には 生まれついた ステルス性があったのか? (オイオイ) 今やっと そう言う自覚が出来てきました(笑) ーーーー こういう ヨアソビ体質は ベトナムで 灼熱の工事現場から 帰って来たエンジニア達と 綺麗なネーチャン達が待ち構えていた サイゴンの夜の繁華街に繰り出して これまた 戦場から九死に一生を得て 泥だらけの軍靴のまま 生きて帰って来た バーボンをあおる米軍GI達と一緒に 刹那的に 飲んで遊び惚け 言い訳としては 何しろ毎日 死線を越えて働いた 少なくと潜在意識には 常にそれがあった そのストレスが・・・ 言い訳かも (不安がよぎる) その後遺症が トラウマが (ちがうだろ) その後の私の人生の 方向性を決めてしまった 私も開高健と同じだ (ちがうかも) ーーーー それに あのデヴィ夫人を送り込んだ 政商系の流れ小軍団が 途中入社して来て 若手だった私はそこに配属され すぐに彼等に感化され 同じ穴のムジナ的な 怪しい随契商売 派手な接待 などを当たり前だと感じて 商社プロトタイプの 堅実優秀な繊維屋さんとは対照的で ただ これも昔の商社の長い歴史のある部分 (勝手に納得) とりあえず 今は この辺で切って 仕切り直して 出てきます(笑)
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