古代人の婚姻・性生活
樂天から引っ越してしまったartaxerxesさんの過去ログ交流して居たのは,もう、十年以上前かな?artaxerxesさんは、考古学の研究者今回、許可を戴いて復刻してみる非常に興味深い内容昔の日本人のセックスは,実に,タブー無し、だったようだ橋本治氏が「性のタブーの無い日本」と言う著書で「(日本人の性には)タブーは無いが,モラルはある」と書いてあるここんとこ、日本人は、「タブーが無い」と言うことと「モラルが無い」と言うことを混同しているのでは無いかな/(笑)本来、セックスは種族保存のための最重要機能であるはずなのにどうして、タブーの対象に,なりやすいのだろう?キリスト教などの一神教の影響も、そのひとつではあるがどうも、それだけでは説明が付かない人間が蛇が嫌いなのは,原始時代に恐竜にいじめられたからその記憶が,同じ爬虫類の蛇を見るとフラッシュバックするのだと言う説があるが,ウソらしい(笑)恐竜時代には,まだ、人類は,人類として存在していなくてほ乳類そのものが、まだ、ネズミのような小動物だったようだからであるとにかく八百万の神々がいてアニミズムの古代日本ではセックスは,タブーではなかった盆踊りは性的なお見合いであったし夜這いという風習は,農村部では,ごく一般的だったようでだれの子供かわからない赤ん坊を平気で育てたという今の感覚では考えられないようなことが庶民・農民の世界では当たり前だったと知ると日本人とは,そもそも、一体どの様な民族なのか?考え直してみたいような気がする(笑)近くは,江戸時代だって,庶民の生活に性のタブーは,あまり無かったという ―――― 復刻記事 ――――古代人の婚姻・性生活今日は久々に快晴だった。 妙なタイトルを今日の日記のタイトルに付けてしまったが、これは僕のページの常連で人生の先輩であるalex99さんが、最近自己の体験も交えつつ性について考察されているのに刺激されたためである。実はこういう話題は嫌いじゃないのだが、自分のことを語るのは恥ずかしいし何よりあまりに語るべきことが貧困なので、いつものように古代世界に逃げ込もう。 人間の内面をもコントロールするため性生活(=婚姻)にまで規制を加えたキリスト教やイスラム教という一神教の普及で、性のことは隠すべき恥ずかしいことという観念が世界中に広く定着して久しいが、古代は随分とおおっぴらだった。それもそのはずで、元来生殖は「全ての始まり」でめでたくかつ神聖なことであり、隠すべきことではなかったのである(もちろん人前でそれをすることとはまた違うのだが)。だから日本やインド、ギリシャやローマでは男根が崇拝された(縄文時代の石棒、道祖神、インドのリンガ、ギリシャ・ローマの巨大な男根を備えた神像など)。日本は比較的そうした「古代的」思考が残ったほうだといえるだろう。 ヘロドトスの「歴史」は紀元前5世紀初頭のペルシア戦争の記録が主だが、ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ各地の民俗誌、地理誌でもある。その中から婚姻制度や性生活に関する部分を拾ってみよう。 「歴史」には「妻を共有する」という民族が散見される。中央アジア(トルクメニスタン)のマッサゲタイ人、ルーマニアに居たアガテュルソイ人、リビアのナサモネス人、アルジェリアに居たアウセエス人などである。妻を共有する理由は「互いに兄弟となり部族民全部が近親となって、相互の間に嫉妬や憎悪の念が生ぜぬようにするため」だという。同じような習俗は、ややのちの時代(紀元前1世紀)のカエサル「ガリア戦記」の中で、ブリテン島(イギリス)に住むケルト人の習俗として紹介されている(この場合は親子兄弟で女性を共有するという)。 この中でナサモネス人は一夫多妻だが、花嫁は「初夜に参列者の男全員と同衾し祝福される」といい、アウエセス人は「正式な結婚はなく同棲せず家畜同然に交わり、生まれた子供は生後三ヶ月したらもっとも顔つきの似た男の子供とされる」という。アウエセス人の習俗は、西日本の村落部を中心に近代まで続いていた「若者組」「若衆宿」による夜這いの習慣や、それを洗練させた平安時代の「妻問い婚」を彷彿とさせる。 ヘロドトスが上に挙げた民族はいずれも平原もしくは砂漠の遊牧民である(カエサルの挙げたブリテン島のケルト人は農民だが)。こうした社会では息子が父親の妻妾(生母は除く)を相続する習慣があったことは、中国北方遊牧民・匈奴について記した司馬遷の「史記」にも見られることである。厳しい自然条件下で不安定な生活をする遊牧民は実力主義社会だが、女性を「子供を産む貴重な財産」と見ていたのである。モンゴルの覇王ジンギスカンの母親も正妻も敵対部族に略奪された経験がある。 以上は一見すると乱婚制に見えるが、ヘロドトスはこうした社会を大袈裟に書いたのかもしれない。 さて上に書いたように男女の交合はめでたく神聖なものであったのだが、それは古代文明発祥の地メソポタミア(今のイラク)でもそうだった。実際に男女の交合場面を表現した護符や像などが出土している。また神殿の中では神々の交合が再現された。 ところがこの信仰はやがて「宗教的淫売」へと堕していく。神殿に娼婦が居ついて売春するのである。ヘロドトスはその習慣をもつ民族として、バビロニア人(イラク)、リュディア人(トルコ西部)、キプロス人などを挙げ、破廉恥と非難している。神殿で売春が行われないのはギリシャとエジプトだけだという。 リュディア人の場合、娘たちは我が身を売って自分の嫁入りのための持参金を稼いだという。一方バビロニアでは全ての女性は一生に一度、女神ミュリッタ(ベリトもしくはイシュタル)の神殿で通りかかる見知らぬ男と交わらねばならぬといい、「器量の良い女はすぐに勤めを終えたが、器量の悪い女は3年も4年も待たされる」という。 今のその地に多いイスラム教徒が聞いたら、飛び上がって怒りそうな習俗である(まあイスラム諸国の一部には公娼制度もあるのだが)。 以下同じような奇妙話を。 バビロニアでは1年に一度、集落ごとに年頃の娘を集め、一種の競りで器量良しの娘との婚姻権を競ったという。なぜこういうことをするかというと、それで得た金で今度は器量の悪い娘に持参金を持たせ、金目当ての男と結婚させるためだという。ヘロドトスはこの制度を「気が利いている」と評価しているが、彼の時代にはこの習俗はもう無くなっていたという。なお現在のイタリア・ヴェネチア近辺に住んでいたウェネティー族も同じような習慣があったという。 エジプトのぺロス王は突然盲目になった。神のお告げによれば「夫以外と交わったことのない女の尿で目を洗えば再び目が見えるようになる」というので、彼はまず自分の妃の尿で試したが、視力は回復しなかった。そこで次々といろいろな女で試したが視力は戻らなかった。ついに治ったとき、彼はその尿を出した女を自分の妃とし、以前に試した女たちを一箇所にまとめて焼き殺したという。随分乱暴な話だが、古代エジプトの女性は案外奔放だったのかもしれない。なおこのぺロス王は実在のどの王にあたるのか不明である。 リビア東部に居たアデュルマキダイ人は、王が気に入った娘の初夜権を持っていた。同じような習慣は中世ヨーロッパにもあったし(映画「ブレイブハート」に出てくる)、チベットのラマ教では僧侶が新婚の娘の初夜の相手を勤め祝福したという(今はこの習慣はもう無い)。 あとヘロドトスによればインド人は「畜生同様に公然と交わる」と書かれている。これが具体的にどういうことを指すのか分からないが、なんとなく「カーマスートラ」の国らしい気もする。 こういう観察記録を残したヘロドトス自身が属する古代ギリシャ社会についても書かないと不公平だろう。ギリシャというと「ミロのヴィーナス」のような女体賛美、壷絵に描かれた奔放な交合(男女及び男男)場面、そしてアリストファネスの喜劇「女の議会」「女の平和」に描かれているように、女性の地位は高かったという印象を受ける。 ところが現実は逆だった。都市国家アテネの場合、市民権を得られるのは市民階層の女から生まれた者と限られていたので女の子は大事にされたが、家に閉じ込められた箱入り娘だった。15歳くらいで親の決めた相手と結婚するが、大抵は資産や地位のある30歳くらいの男が選ばれた。結婚後も宗教行事以外の公的な場に出ることは憚られ、買い物などは奴隷に任せて家に閉じこもっていた。男性の浮気は咎められないが、女性の姦通は死罪だった。出産事故が多かったので男よりも平均寿命は短く、36歳くらいだったという。 むしろ下層階級のほうが女性の自由はあったが、やはり男の子が重宝がられ女の捨て子が多かった。こういう子供は奴隷か遊女にされた。ヘタイラと呼ばれた教養をもつ高級遊女もこの階層の出身である。アリストファネスの喜劇は現実の逆だからこそ喜劇なのであり、またトルコ北東部にいたという女だけの戦士部族アマゾン(英語でアマゾネス)も、現実のギリシャ女性を裏返しにした空想の産物である。 なお「プラトニック・ラブ」で知られる哲学者プラトンは国家体制を論じた著書「国家」の中で、女性の共有を主張している。彼の師であるソクラテスは名高い悪妻クサンティッぺに悩まされたが(なおギリシャでも一夫多妻が行われており、ソクラテスにはもう一人ミュルトいう名の妻がいた)、その姿を見たプラトンは生涯独身だった。 一方ローマのほうはギリシャに比べ女性の地位は高かったといえるだろう。女性の離婚・再婚も行われた。あまりに婚姻関係が乱れているというので、帝制ローマの初代皇帝アウグストゥスは紀元後9年に婚姻に関する法令を出したが効果は無く、むしろ皇帝の一族内でそのような光景が見られた。その手の逸話は多すぎるのでここでは避ける。 ローマ帝国北方(ドイツ)の蛮族ゲルマン人の習俗を記録した「ゲルマーニア」の著者である2世紀の歴史家タキトゥスは、ゲルマン人社会では一夫一婦が基本であること(高貴なものは政略結婚目的から一夫多妻もあった)、ゲルマン人女性が貞淑を求められ離婚や姦通はもっての他とされていることを紹介している。誘惑や姦通が「時世の習い」とむしろトレンドのように思われていたローマ社会への警世の意味もあったのだろう。 ゲルマン人社会は奇妙なところがあり、ライコス日記のときに紹介したことがあるが、カエサル「ガリア戦記」には「一番童貞を長く守っていた者が絶賛される。その童貞を守っていることにより身長も伸び体力や神経も強くなるものと思っている。二十歳前に女を知ることは恥としている。このことについては少しも隠し立てしない」と書かれている。ゲルマン人の子孫たる今のドイツ人はどうなんだろね。 いきなり話は飛ぶが、竪穴住居から出土した一家族の発見状況から、日本の縄文時代には一妻多夫婚が行われた可能性が指摘されている。姥山貝塚の場合、1つの竪穴住居に住んでいたのは老女一人、成人女性一人、成人男性二人、幼児一人で、この5人の具体的血縁関係は不明だが、女系社会だった可能性を示しているという。