次男とウォーキングに行く道すがらに、鉢から引き抜いた状態で打ち捨ててある植物を見つけました。
あら、可哀そう。。。と思いました。
大きくなって飽きてしまったのでしょうか。
大きくなると、可愛くないよね。。。という姿の植物ではあります。。。
大きな公園や河川敷があるので、ちょっと穴を掘って埋めてやればいいのに。。と思いました。(本当は、かってにそういうことをしてはいけないのかも。。ですが。)
大きくなったら可愛くないよね。。。。。。
私の中で何かとリンクすることです。
障害児は、大きくなったら可愛くないよね。
そ、そうなんです。
でも、次男は大きくなってしまいました。
歳もとってしまいました。
妖精ではないのでみんな大きくなるのです。
それでも生きていかなくてはなりません。
身体が大きくなっても、歳をとっても、障害者であっても生きていかねばなりません。
24才の知的障害者である次男の日常は、期待以上の幸運に満ちています。
ありがたいです。
34才の次男にも同様の幸運が与えられるでしょうか。
なにをどうしたら次男のこれからの人生が成熟していくことが可能なのか。
私の頭の中にはいつもソレがあります。
次男が障害者であることは一目瞭然です。
次男が大事にされていることも一目瞭然であってほしいです。
次男が万全の支援体制、支援者に支えられていることも一目瞭然であってほしいです。
次男と初めてあった人が、「この人は大事にされている。」と感じる次男であってほしいです。
たぶん今は、そうだと思います。
10年後も、20年後もそうであってほしいです。
次男と同じタイプで、好ましい中年期を迎えている自閉症で知的障害者である人にまだ出会ったことがないです。
きっとどこかにおられるはずなのですが。
打ち捨てられた植物には、子株がたくさん付いていたので、小さいのをちぎってもらって来ました。
で、コレができました。
とても小さい芽があって、全部で6芽です。
なんていう植物か知らないけど。
アロエかな。
冬だし、枯れてしまうかも。
でも、ま、しばらくウチに居てください。
実家の父が庭にあった藤の木を掘り起こしたことがありました。
藤の根はとても屈強で、家の土台近くまで伸びてきました。
実家は、安普請の建売住宅ですから、基礎部分もそれなりなのです。
藤の根に負けてしまうかも。。。と心配になったそうです。
で、藤の木を根っこから掘り起こしてしまいました。
毎年綺麗な花を咲かせていた藤にとっては可哀そうなことです。
なんとかしてやらなくちゃ。。。とみんなに言われて、父は近くの公園の隅っこに穴を掘って藤を植え替えてやりました。(本当は、かってにそういうことをしてはいけないのかも。。ですが。)
新天地を得た藤は、それはそれは立派な花房をつけるようになりました。
毎年の初夏に綺麗な花を咲かせています。
公園を訪れた人が写真を撮るくらいに綺麗です。
ペットも、植物も、粗末にしてはいけないですよね。
粗末にすると、罰が当たりそうですよね。