次男と映画「マダガスカル3」を見に行った。
きれいで楽しいアニメーションだった。
充分に満足した。
次男と私の座席は、スクリーンにむかって真ん中だったので、端の席に座っている人達が席を立たれるまで、待っていよう決めていた。
誰でも目の前を人が通るのはイヤだと思うから。
映画の終わりのクレジットタイトルの量が膨大だった。
このアニメーション映画に関わった人がこんなにもたくさんいるのだと、感嘆した。
辛抱強くクレジットタイトルを見ていると、制作班にインド班があることがわかった。
日本もアニメーション大国なのに、日本班ではなくてインド班なのか。。。。
インドに発注しているのか。。。(~_~;)
インドは、日本よりも、英語を話す人口が多いのだろう。
インドの旧宗主国はイギリスだもの。
日本が植民地になった時代がないのは、大変に幸運なことだと思う。
それは、絶対的にそうなんだけど。
ああ。。。(~_~;)
インド班があって、日本班がないのは、技術力の差ではなくて、英語力の差なのではないだろうか。
だとすれば、ますます差をつけられて、距離を離されるのではないだろうか。
私達日本人は英語が話せなさ過ぎる。
話せなさ過ぎる。。。。と言われたまま、何十年も時間が過ぎている。
私達の世代の英語教育は見事に失敗している。
でも私達の子の世代になれば、きっと少しは成果が実っているに違いない。。。。と思っていたのだけれど、その結果も悲惨だ。
長男の中学校の授業参観に行って、英語の授業を参観してビックリした。
え!?(-_-)
これで、英語をキライにならない生徒がいるはずがない。。。。。と思った。
公立の中学校って、こんななの。
イヤ、そんなバカな。
そんなはずはない。
この学校が特別にそうなのだろう。
ひどい。
その頃、既に息子たちのパパの事業は傾いていて、私は専業主婦ではいられなくなっていた。
親の経済力の弱さ、親の気持ちに余裕がないことが、子の学力に大きく影響していた。
長男の英語苦手度は、わたしよりもひどい。
本当に、ひどい。(__)
英語力がどうのこうの言う前に、国語(日本語)が大事。
国語力が弱いと、英語はわからない。
数学もひどくなる。
国語力が全ての基本だと思う。
日本の主張を外国人や外国の機関に述べる表現力の乏しさ、何を言っているのかわからない具合もここが原因ではないのだろうか。
学力至上主義にせよと言っているわけではない。
よく、駅前で、拡声器で「学校に競走主義を持ち込んで、学力至上主義になれば、優しい子が育たなくなる。」と訴えている人達がいるけれど、「学力がつくように、思考力がつくように指導しましょう。そのための方策を考えましょう。」イコール「競走させよう」と考えるのは、思考が単純すぎないだろうか。
子ども達に得手不得手があるのは当然で、「不得手がたくさんあってもキミは素晴らしい。」と言い続けてやることが大人の大事な仕事のひとつで、「得手がたくさんある人は、その才能と余裕をを他者の役に立つことに使いましょう。それは、キミに与えられた贈り物なのだから。」。。と言い続けることも、大人の大事な仕事のひとつなのだと思う。
現在、学齢期にある子ども達の学力を、どうにかして充実させて欲しい。
外資系ではないけれど、社内公用語を英語にした大企業が何社かあるけれど、もっと底辺で私達日本人は永久にカタコトのまま進歩しない英語でも恥ずかしがらないで話せるようにならないと、経済は上向きにならないのではないだろうか。
だとすると、成果が目に見えてくるまでに何年間もかかるわけで、それまで、私達は、持ち堪えることができるのだろうか。